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2014/03/20

マグマとハンドリング

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最近若干ココの更新が途絶えてる。
まぁ、忘れ去ってはいないのだけど、インフル寝込みで途絶えて以降、復調してからは結構いい加減なペースになってる。

まぁ、頻度やや落ちつつも続けてけばいい。

それが書くのをためらわせている理由なワケではないのだが、なんとなく最近は、そこはかとない怒りに支配されている感覚がある。人に対して噴出する類いの怒りではなく、自己の内側にたぎる系の怒りだ。

元々の性格からしても、内側のマグマにあらゆるネガティブなものをとことん蓄積していくタイプなのだが、今回は輪をかけてそういう感じがしている。静かめだけど、濃いめだったり深めだったり。

せっせと溜め込んでいる怒りはじゃあ何かというと、説明は難しいし、詳細を書くつもりもないが、まぁ、それくらい個人的なもの。所謂第三者には一切関わりのない部分。

そんなものが自家発電され、どんどんどんどん澱になっている。ワタシにとってのこの世の全ての負は、どうもそこを源泉としているようだ。

要するに、基本的には他人様への害はないものの、自分自身にとっては、なんとなーく普段以上に有害な怒りがそこに横たわってる気がしているのだ。

原因については……わかっていそうで微妙に曖昧である。

対処療法的に、なんとなく暫くネットからやや離れた方がいいかなぁ、なんて思ったりもする。しかし、ネットが原因なワケではない。部分的な要因……とは言えるかな、程度? 感覚的には。

仕事にせよ遊びにせよ、ネットが住処なんじゃないかっていう程度に滞在時間が長いので、そりゃ要因の一部にくらいはなり得るであろう。直接原因がネットにあるというのであれば解決への大きな鍵にもなるかもしれないけど、そうとも言えないしなぁ。

その程度なのにそこから距離を置く、なんてやりだしたら、早々に逃げ道がなくなって居場所がホントにNowhereに…! なあんて、ネガティブ思考スパイラルに陥ってしまったりするわけです。デフォルトの性質からしてネガなので。

ああでも、そんなコトをつらつらと、ここに書きはじめただけでも、胃の腑あたりでもやーんと渦巻かせてるだけよりは、やや客観的な視点になって整理がついてくもんですね(実感)。解決しなくともこれは大きい。思考の書き出し万歳!

そんな、怒りに支配された感を持ったままではあるものの、最近は数人の友人とは、とりとめのない、でもココロの肥やしにはなりそうな色んな話もしていたり、古い知人に会ったり、春の匂いを嗅いだり、そう、悪いコトばかりというワケではない。

小さなポジティブ沢山と、深めのネガティブ少々とで、日々のバランスは均すと取れてるのかもしれないな。てことは、瞬間瞬間の気持ちに脊髄反射さえしなければ、怒りにまかせて踏み外すには至らずに、この怒りもハンドルしていけるのかもしれない。

というワケで、公開してまで書くコトじゃないしなぁ、みたいな余計な取捨選択はせずに、思いついた都度ヤマなしオチなしで書き散らかしてくようにしなくちゃな。

とはいえ、年度末、宴たけなわなワケでありますが!

2014/03/11

デジタルちゃいろ[43]原住民と黒船三度

この記事はメールマガジン「日刊デジタルクリエイターズ」に書き下ろしたした記事「デジタルちゃいろ[43]原住民と黒船三度」の元原稿です。加筆は一切してませんが、掲載時点で古くなってしまったリンクやそれに纏わる文言のみ一部削除している可能性があります。

雛祭りの日にmixiからリリースされたmuuk、ワタシ結局未だに試してないんです。試してないのに話題にするとかどうなのって感じでしょうか。まぁ、使用感について云々したいのではないので許して下さい。

どんなサービスかっていうと、時限式の写真共有アプリ、とでもいいましょうか。送った写真を相手が見れるのは3秒だけ。で、二度と見ることも叶わず、保存することもキャプチャすることも出来ずに消えてしまう。

そうそう、ある意味、まさにこういうことですね!(えっ)

ワタシの立ち寄り先であるSNS各所ではどちらかというと「旧来の」ネットに親しんでる層が多くて、アーリーアダプターな層も多い方だと思うんですが、muukのコンセプト自体、そういう層には親しみづらい感じがあるようですね。

アーリーアダプターなので、早々に試してはみたものの、早々に砕け散ってる方をよく目にしました。というか、メニューの文言や、ナビゲーションのヒントに使われている言葉のひとつひとつに、生理的に苦手そうな反応をしている人が多い印象。

この刹那系写真共有系サービス、国産では恐らくこのmuukが初かもしれませんが、米国を中心とした異国のワカモノの間では、2011年にリリースされたsnapchatが大人気。本家や元祖や草分けかどうかは存じませんが、世界的にはこちらが今も尚、コレ系サービスの王道。

その後、2012年にfacebookが同系のアプリをリリースしましたが、snapchatを凌駕するには至れず。しかしFBはかなりこの市場に魅力を感じていたようで、去年の暮れに現金30億も積んだものの、snapchatは既にそれを華麗に蹴っ飛ばすまでに成長して今に至る、という感じです。

そんなこんなで、FBが30億出そうとする程には魅力的な市場でもあり、可能性もあるんでしょうからmixiさん、日本での市場は未知数ながら、意外に面白い目の付けどころなのかもしれません。

そんなmixiをパクりサービスのオンパレードとか、オリジナリティがなさ過ぎるとか、恥ずかしくないのか、とか怒ってる人も見かけました。以前のワタシなら同調したかもしれませんが、最近ではそういう声を目や耳にすると、この人はここがどこだか忘れてるのではないかしら、なんて思うコトがあります。

ここはどこでもない、スポイルされきったガラパゴスな日本なんですよ。新しい商機の可能性を孕む異国で出来た舶来のサービスは、誰かが輸入して、ローカライズして、より日本人の好む形にブラッシュアップしないと誰もオリジナルのままでなんて使わないんですよ。

で、旧来の、リテラシーが高くて、新しいものに常にアンテナ巡らして、海外の動向を見つめてるアーリーアダプターなんて、もはや全体に影響力を持つ存在ではなく、一握りのコミュニティの中でのお山の大将でしかないんですよ。mixiはとっくにそんな小さなマーケットなんて相手にしちゃいないんです。

実は以前からこのデジクリ上でも、「黒船!」「黒船!」と騒いでる記事を書いたことがある。

ワタシの言う《黒船》とは、旧来からこの《インタネット島》で暮らす《原住民(=旧来のネットユーザー)》ではない、新世代ネットユーザー、のような人たちを運んできた船、という意味合い。黒船で上陸して来た新世代ネットユーザーとは、どちらかというとモバイルがインタネットへのメインゲートウェイで、ネットをネットと意識すらせずに使う層。

あぁ、そういう人が加速度的に、《おらが島》にやってきてる足音がするねぇ、ほらどんどん足音がデカくなってきたねぇ、というハナシをこれまで何度か書いてたのだ。

黒船でやってきた人たちは、原住民からしたらリテラシーも低いし、自分たちだけでは何も出来ないだろう、くらいに思ってたのに、気づけば原住民たちを介在せずに独自の歴史や文化を生み出してる。

おらが島の広めの一角に、既にしっかりとした居留地を構えてて、そこは原住民たちには住み心地がよいとは感じられなくて、あまり寄りつかないのだけど、彼らにとっては文明を着々と発展させる程には暮らしやすいようだ。

そんな土地が、きっと、在りし日のmixi、そして現在進行形ではLINEあたりなんじゃないかな、と思います。

最近聞いた話で象徴的だったのが、頑なにLINEを使わずにいる友人(原住民)と彼女の田舎の仲間のハナシ。

正月に地方の実家に帰省して同級生と集ってみたら、いつの間にやら皆、ガラケーからスマホになっており、原住民の友人以外の全員がLINEで繋がってたんだそうな。

LINE使ってないの?なんで?繋がろうよ!フルフルしようよ!と言われたものの、仲間内で一番ネットに詳しいと思われていた筈の自分がLINEの使い方すらよくわからない、というシチュエーションが悔しかったので、その場でもインストールしなかった、と言うのだ。

そう、本当に、原住民抜きで文化も歴史ももう出来てるんですよ。しかもその文化圏では、黒船リテラシーも出来上がってて、下手をすると、原住民こそリテラシーがない、とされてしまいかねない程に逆転現象も起きつつあるのです。

個人的に未だにどちらとも言いきれない領域なのが、アメーバピグ方面のユーザー層。

ピグに限らず密かに乱立はしてますが、リテラシーは高くないけど、とはいえ、どちらかというと仮想の自分とも言えるアバターベースのコミュニティにいる人たちは、mixiやLINEに比べると若干、リアルな繋がりベースでのコミュニケートをしている種族ではない気がする。

ピグ界には一時期、敢えて潜入してみてたんだけど、実際半々なのかなぁ。リア友とお誘い合わせの上遊んでる子達もいなくはない。でも、そうじゃない人間関係築いてる層も相当数いる感じだった。はじめて見かけたピグにカジュアルに話しかけて友達申請や、ナンパをしてくる人も多い。

やっぱりアバター系は別途、独特な文化を持ってるのか。「ユーザー層」っての自体、もはや一概には言えない感じなのかな。ハナシが逸れそうなのでそちら側種族深掘りは一旦止めておこう。

そう、そんな感じでですね、一昔前のインタネット島の流行り物っていうのは、原住民のアーリーアダプターによるレビューを経てから世間的にポピュラーになってくのが常だったのです。

でも、今や、原住民の未踏の地にもあちこちに立派なマーケットは出来上がってて、mixiはソコに向けてmuukをリリースしたんだと思うんですよ。原住民なんか相手にしてないんです。

個人的にはそこであるコトに気づいて、いよいよ面白いな、と思ってるコトがある。

ワタシの脳内黒船ストーリーは、いつかどちらかがどちらかを支配しようとするのではないか、という悲観的な物語を想定してたんですよね。

ところが、今のところ、実際は意外と平和的に棲み分けはされていて、時折、曖昧な国境付近で、文化的摩擦として火炎瓶の投げ合いが起きて炎上してる程度に見える。これはちょっと面白い発見かもしれない。

ああでも、黒船で新大陸にやってきた人たちは、原住民との間にある潜在的利害関係や、原住民の存在そのものにすら今はまだ気づいてないだけかもしれない。

まだまだ接近遭遇ははじまったばかりだ。この二種族の接触と力関係の変遷は、これからも長いこと興味深く見ていきたいと思ってる。いち原住民として。

どこかの国の音楽

きっかけは何だったのか謎ですが、実は去年から印度映画界では日本ロケが大流行してるんです。

春先は富山・北海道でテルグ映画、10月後半はヒンディ映画(ボリウッド)が都心部、タミル映画が京都・鳥取、そして12月はテルグ映画2本目が関東・関西ロケ。

それを受けてロケ地になった地方自治体では、その後のロケ地巡りにやってくるかも知れない印度人観光客目当ての町おこしにまで期待してたりしてなかったりしてるようです。

秋の、1週ズレ程度でのヒンディ~タミルロケ祭りは印度映画ファンはそりゃもう大騒ぎでした。そんな最もアツかった2つの映画の、まさに日本ロケでの音楽シーン動画が公開されてるので、ちょっと印度映画ロケ地日本祭りをば。

“Tanki” Youngistaan

こちらはヒンディ映画Youngistaan。現地ではこの3月後半公開予定。

ロケ地は主に新宿かな。六本木・渋谷あたりでも撮影スケジュールがあったようななかったような。

ロボットレストランでの撮影のほんの数日前にはSNS上でこの撮影のエキストラ募集が出ていて、ワタシのTwitterのフォロワさんは何人か参戦しており、映り込んでるようで、めでたくボリウッドデビューを遂げるようです(笑)。

印度で今をときめく Mika Singh の歌だし、他で結構好きな振付けを結構やってるコレオグラファーさんが振付け担当なんだけど、正直、個人的には楽曲もダンスも微妙にピンとこないんですけどね、スイマセン。

“Kandaangi Kandaangi” Jilla

こちらはタミル映画Jilla。こちらは現地では既に今年1月から公開中かな。ロケ地は京都各所と何故か鳥取の花畑。

俳優さんは現地では、一昔前の日本で言ったら若大将、加山雄三クラスの人気を誇るヴィジャイ。女優さんはテルグ語圏の、ワタシも大好きなカジャルたん。南印映画界の女王とも言われる女優さんで、タミル映画でも引っ張りだこみたいですね。

関東でロケだったら1日くらい仕事ほっぽり出して見に行きたかった…。

こちらは楽曲もダンスも、イマドキ感はないけどスタンダードな印度映画の音楽シーンという感じでいいですね。

ボリウッドのYoungistaanは今の日本の都会を全面に押し出してるけど、タミルのJillaの方はステレオタイプなまでの美しき日本、てな感じで対照的。

今年もロケやら映画祭やらイベントやらで印度映画界の俳優さんが来るの来ないの、なんてハナシがちょこちょこ出てるみたいで、来日祭りはしばらく続く…かも。ワタシが大好きなテルグのNTR Jr.も来ればいいのになー!

後記

先月はインフルエンザB型にやられてた。解せない。発症から潜伏期間に該当する日を遡って考えこんでも、人のそこそこいる場所といったらスーパーに1回行ったくらいしか、外出の記憶がない。それほどまでに筋金入りな引きこもり生活なのもどうかとは思うが、それでもインフルエンザをもらう時はもらうものなのだ、という事実にもびっくりした。

「スーパー行くだけでも伝染るコトって、あるらしいですよ」と、ワタシの引きこもり事情を知らない筈の薬局のおばさんも言ってたので、実際そういうコトだったんだと思う。

寝込むのにいい時期なんて勿論ないのだが、2月は日数が少ない上に、翌月は世間的に決算期・締めの時期の始まりなので、特によくない時期だと痛感。来冬からはきちんとワクチンを打つコトにする。この冬は、配偶者だけはワクチンを打っていたお陰で、ワクチンの効果のほども十二分に試せたので。

2014/03/10

思考ゼロ:週末の記録(オトナの証明+α)

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週末は「原稿をしろ原稿をしろ」状態だったのでこちらはお留守。なぜか今回は月曜掲載ということなので、明日のメルマガ発行後にこちらでも公開するかな。

不思議なモノで、こちらは書き出すと止まらないのに、あちらはある程度ネタのあらすじ決めててもなかなか筆が進まない。この現象に名前をつけたい。そうでもない。

2月のインフル以来のしわ寄せ諸々の影響は大分なくなったようにも思う。今後ありうる直近大わらわ可能性は、世間的なあれこれを思うに、消費税増税前の駆け込み案件とか、継続中の某小動物みたいな名前みたいな案件で突発トラブルとか、まぁ、備えようと考え出しちゃったらきりがないですね。

はるか昔にオトナになったにも関わらず、今更ながら印鑑を新調しました。ずっと中学卒業の時にもらった印鑑一本でやり過ごしてたけど、オトナだしね!

オトナだから邪悪なはんこ屋さんで、銀行印は伊藤ネコ付きの、苗字ひらがな、やる気のない手書き、実印は名前以外の余計な絵柄付きはダメらしいので、フルネーム。同じくやる気のな~い手書き、にてオーダー。ちょっと楽しみ。

あとは、慌ただしく出かけたり泣いたり笑ったりして、やっと落ち着いて週末を過ごせるぞ、と思ったころには週末ほとんど終わってましたとさ。

2014/03/06

四半世紀と下世話なヌード

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最も嫌いな年代は90年代なのだが、どうやらおいらの記憶は90年代で留まっているのかもしれないと気づいた。

Twitterで誰かが90年代を「二十数年前」と表現した言葉を見て、ああもうほぼ四半世紀なのか、という事実に改めて驚愕したのだが、

  • 未だに90年代を「現代」感をもって認識してる
  • だけど80年代は「近代」感。要するに、過去のものという認識にある

というのがおいらの中での感覚のよう。

「記憶が90年代で留まっている」というと若干語弊があるが、以降の事件であるとか流行であるとか、同じ場所(国)にいて同じ時代を暮らしてたら共通して持ってそうな記憶が意外と少ない。

要するに、ニポンに暮らす人間としては、90年代以降の世事に疎いのだ。多少異国に行く機会は多かったものの、生活の場として日本を離れてたワケでもないのに。

80年代までは色々な出来事がしっかりと記憶にあるし、その時代に参加してた感覚がある。それが故にしっかり過去として消化されてるのかもしれない。

おいらにとっては、脳内が色々な異国に行きはじめてしまったのが90年代頃なのも大きいと思う。

ああそうか、国内から国外に目が向いてしまった大きな理由のひとつは、やはり、何より90年代のニポンが好きになれなかったせいなのかもしれない。
(いい具合に冒頭に戻る)

話し変って、訳あって我が家にあった下世話な週刊誌に付録として入っていた、B5変形で八つに折られたヌードのおねいさんのポスター。

これが、背景のプレーンな青といい、肌の質感といい、おねいさんの髪型といい、表情といい、実際の輪郭とは異なる所に描かれた下まぶたのアイラインといい、なんだかとても80年代感を感じて、懐かしくて、ついうっかり椅子の後ろに貼ってみてる。いい。

子供の頃、どこかでうっかり見かける下世話な雑誌に載ってたおねいさんてまさにこういう感じ。子供の自分にとっては、若々しい女性というより、エッチ系のナニカに出てくる大人の女性は、なんというか「くたびれてないオバサン」というイメージだった。

なんだろう、おおらかで優しそうで、それなりに若い筈なんだけど、ちょっと野暮ったくて、ワカモノらしいキラキラ感とはどこか違う雰囲気を持った大人のひと。

気づけば彼女たちを軽く追い抜いてるワケだけど、結局、ああいう雰囲気を醸し出すような大人の女性期はスキップしてしまったようだなぁ。意外と憧れてたんだけど。や、脱ぐかどうかは置いといて。雰囲気ね、雰囲気。

翻って現代。今や、AV女優のかわいさレベルが異様に高くて何が起きてる、みたいな話題を目にする時代だ。確かにやたらかわいいんだよね、最近のAV女優。いえ、本編は見てないので実際どうなのかは知りませんが。

なのに、そんな時代なのに、中高年向け下世話雑誌のピンナップガールは、今でもあの、80年代の、くたびれてないオバサンのイメージのまま存在してたってのがなんだかとても嬉しい。

嬉しいっていうのはちょっとヘンに聞こえるかもしれないけど、彼女たちをとっくに追い抜いた、正真正銘の BBA になった今見ても、当時のイメージそのまますぎて、あぁ、あれは自分の「子供目線」が故ではなかったんだな、という答え合わせが出来た感じなのが嬉しいんだ。


ああ失敗した。書きはじめの日時ログしなかったので、今日は書くのにかかった時間がわからない。

そう、いつもね、ヘンな数字を冒頭の見出しに入れてるんだけど、アレは書き出した日時なのですよ。公開時間はブログ側で出るから、公開までにどのくらいかかったかの目安にしたくってね。

書きはじめを意識して、あんまり長々時間をかけずに書くようにしたい、ってのがはじまりだったんだけど、書きはじめるといつも時間気にしないで延々書いちゃうから意味がない。けど目安としては面白いから、いつも入れとくんだ。

あとでちゃんと「○○分」て計算して記録しといた方がわかりよいんだけど、それはそれでめんどいしな。

多分今日は0215くらいスタートだったかな…というワケで改変しとこう。よし!

2014/03/04

向上心みたいな虚栄心 VS 不戦敗の俗人

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<坊主ないいわけ>
さあて、何日ぶりかしら。
インフル病み上がりに一度書いたっきりな記憶。
その後も予後不良を長々引っ張ってしまい、再度医者に行って漢方を処方してもらったりしてました。
そうは言っても仕事は待ってくれない。
代わりもいない。
ぼんやりした能率の悪いアタマで、普段以上の時間をかけて、溜まった作業と、日々増えゆく作業をこなす。
しわよせ恐ろしい、しわよせ。
それでなくても日数の少ない2月に寝込む、はつくづく鬼門です。
めっちゃ身をもって知ったわ。

やー、しかし、このブログがそのまんま坊主にならなくてよかったですね!
危うい危ういw
</坊主ないいわけ>

そんなこんなで、ワケも解らぬ状態でなんとか2月をやり過ごし、月初。

そう、月初。ああ、月初。

月初もまだね、月初ならではの作業は山積しており、この週末は別作業もあったため、全然落ち着く暇がありませぬ。

そんな中、某所で友達とちょこちょこっと真面目な語りをしてて、そんな語りの中で出てきた、最近ちらっと頭の隅なり心の端に軽めに留めてる思考の断片だけ並べておこうかな、と。

オチもまとまりも全然なし。


善人っているじゃないですか。別に特別な善人じゃなくていいんだけど、普通に「あの人はいい人だよね」程度の、ごくごく普通な善人。

いい人はいい。以上。あっ、ハナシ終わった? そうじゃない。

困ってしまうのは、いい人なのは確かなんだけど、意識の高さを、己の背丈や器よりやや高め設定したい気持ちが強くて、それが何かのきっかけで、自分の実際以上の善い人を「演じ」はじめてしまった…としたら、恐らくそれは間違った道なんじゃないのかな、というあたりをぼんやりとね、考えてる。

それはもはや向上心の向かう方角ではなくて、心の弱さとか虚栄とか見栄とか承認欲求とか、結果的に「善なるナニカ」からは逆行した方角に逸れてしまってる、というコトなんだろう。
(しかし、なんでこれ系の言葉には「栄」がよく付いてるんだろう。)

善が悪に……というワケではないから何なんだろう。あぁ、善とセットになりがちな聖が俗になる感じ?

いずれにせよ、本人的には初期の動機があくまで「善人であれ。気高くあれ。美しくあれ。」のような意識の高さドリブンであればあるほど、傍からすると、どうにももどかしい感覚に陥ってしまう時がある。

なんだろう、「だとしたら、歩むべきはそちら側ではなくて、あちら側では」みたいなのを指摘した方がいいのかな、と思う反面、本人が信じてギリギリ頑張ってるものを否定する格好になるからだ。

そこで否定してしまったら傷つけてしまう、と、ツッコミを憚らせるのも本人の弱さが周囲に透けて見えているからなんじゃないかな、という気はするが、つっこんでも否定してしまう格好だし、さりとてつっこまずに静観してる方が実は、自分の中では不実な感じがしてしまう。

でも、相手も子供ではない。それが本人の選択で行動しているコトなのである限り、それについてこちら側がアクションをするか否かは結局の所、二次的なもの。それによってこちら側が自分の不実について責めたり葛藤するべきコトではないのかもしれない。

もうひとつの重要なファクターとして、今回は、多少相手を傷つけたり、嫌われたりしても指摘する、という程に近しい相手ではない、というのもあるな。これは大きい。そう、おいらの性格上、相手がもうひとこえ自分に近しい大事な存在だったら多分、何も考えずにツッコミ入れてると思うわ。

他人様向けとしてはとっ散らかったままだけど、文字にしてみたら少しだけもやもやした感じが自分の中ではまとまってきたかな。


いやぁ、しかし善人だナンだって、じゃあおまえはナニサマだよって感じですかね。

おいらは善人ではないし、善人に憧れもない。あぁ、それに、そもそも善人を目指す資格無しな属性も背負ってるといえば背負ってる。

そうか、それが故に今やラクなのかもしれないな。

うん、これは間違って入ってしまったお嬢様学校な進学校で、素行不良な劣等生の烙印を押された時と同じ安堵感なのかもしれない。望んでもいなかったギスギスした競争レーンからオフィシャルに外れた感じ。後ろ指さされようが何しようが、不戦敗ほど穏やかな平和はなかなかないんだな、これが。

なまじ「善人受験資格」があると合格点もらえるまでがんがらなきゃいけない、みたいな焦燥感を持ってしまう人もいるのかもしれないね。合否判定は誰がするワケでもない、自分にしか出来ないんだけどね。

おいらは下世話な俗人だし、偏屈だし、好き嫌いも激しいし、万人に優しくもできない。けど、歳を重ねる毎にそれでいいって思うようになってきてる。

何よりも誰よりも、自分に正直でいたいし、そうするとどうしたって俗っぽくて狭量になる筈なんだもの。ヒトってそんなもんでしょ。みんな他人にも自分にも期待しすぎてるよ、特に最近。

いくつか自分なりの Do’s や Don’ts だとか、美学めいたものはあって、恐らくはそれらに沿ってココでも、ああでもないこうでもない、と思考をぶちまけてるんだろうな。でも、それらも全て、基本は自分が自分に納得するためのもの。

あれれ、まとまりかけてたのに矛先が変ってまたとっ散らかってしまった。まぁいいや。これについては今後も思い出しては考えてくと思う。

取り敢えず言えるのは、「君子危うきに近寄らず、俗人善人に近寄らず」てな感じかね。


友達との会話からは、もう一つの思考と二本立てだったんだけど、もう一つについては、多分、いつかまた。

この友達とおいらは、とても似てて、でもとても違うので、で、互いにそれをわかった上であれこれ話すから面白い思考のきっかけが出るコトが多いのかもな。


ああ、思考するってやっぱり楽しい。
究極の自慰行為かもしれんなぁ。
やだ、じゃあ、ここ、公開で…ポッ///
(いやまぁ、ここも何処も彼処も全部そうだろうよ。 So what? )