安井仲治 - Wikipedia
安井 仲治(やすい なかじ、1903年12月15日 - 1942年3月15日)は、戦前の日本を代表する写真家の1人。関西で活躍した。 安井仲治は1903年大阪に、安井洋紙店の長男として生まれ、裕福な家庭に育った。 10代半ば頃から写真を始め、1922年には、浪華写真倶楽部に入会。その後、研展も含めて、繰り返し、写真展で入選を果たし、また、浪華写真倶楽部でも、代表格のメンバーとして活躍し、若くして関西写壇に欠かせない写真家となった。1928年には「銀鈴社」結成、1930年には「丹平写真倶楽部」参加。 1942年、腎不全のため、神戸の病院にて、38歳で死去した。 安井作品は、多彩を極め、初期のピクトリアリスムから、ストレートフォトグラフィ、フォトモンタージュ、街角のスナップにまで及ぶ。枠にとらわれない自由な撮影対象の選択をし、それに対応しうる確実な撮影技術をもっており、その中で、技巧に走らない、人間的な作品を数多く残した。 なお、森山大道が、安井を敬愛し、私淑していることはよく知られている(森山には『仲治への旅』という写真集がある)。また、あの頑固な土門拳も、安井を高く評価していたという。