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2020/01/11

デコトラ、トラックアート、ツーリストアート、ビジネス in パキスタン

現地で拝む各種トラックアート

現地では束の間だったけど、いいコンディション(?)でガチなトラックアートを拝む機会もあった。

当初は出くわすたびにキャアキャア言ってたけど、ペシャワールなんて、トラックもバスも、なんならあの姿が標準的と言っても過言ではなかったので、いつしかキャアキャア言わなくなった。

空港内のトラックアートを模したデザインのカート?や土産物屋に並ぶトラックアート由来のデザインの小物など、空港のそこここで、トラックアート由来の品々を見かけた。

それらの写真をFBのStoryで上げたと思ったら、たまたまそれを見た、夏のパキスタンフェスで来日以降仲良くしてくれてるトラックアーティスト氏から「あっ、それおれの作品!そっちはウチのチームの誰それの作品!」てメッセージ来て、おぉぉ、ってなった。

現地で本人には会えずじまいだったんだけど、彼の作品には、イスラマのスーパーでも出くわした。トラックアートを施したマグカップがパッケージになったビスケット。少し前に自身のFBで、「直近の仕事」として掲載していた写真そのものが、スーパーの目の前の棚にあったのだ。

言語化出来ないでいた疑問

実は夏のパキスタンフェス以降ずっと、こういったトラックアート派生の、「実際にトラックに施されてない」「デコトラ由来の」「デコトラ職人以外による」グッズ・アートに関しては、うまく言語化出来ぬままモヤっとしたものを持ち、そのモヤっと抽象的なまま、時折色々考えてた。

そんなスッキリしないお題を頭の片隅に持ったまま季節は流れ、すっかり冬になったつい先月、「アフリカンアートを売り込む」といった、若干押し売り商人みたいな攻めのタイトルの(でもめっちゃ内容の素晴らしい)シンポジウムを聞きに行った。

おいら個人はアフリカに関してはコンゴ限定だし、更には、ほぼほぼ音楽中心でしか見ていないので、一般で言うアフリカンアートは興味のストライクゾーンでは全くない。

が、今回、登壇・発表者者が座学な研究者ばかりではなく、営利・非営利で実務としてアフリカンアートを、日本国内で紹介したり販売したりしてきた方も予定されていて、とても具体的な事例や視点が聞けそうだったので。

しかも、アフリカンアートという、いい塩梅に中途半端で乱暴な括りが故に、その他のマイナーなナニカを紹介する際のアプローチ方法のアイデア参考にもなるかな、なんて思ったから。

例えばコンゴという国限定しかり、エリア違いのパキスタンしかり、美術品にとどまらず、音楽文化の紹介しかり、そこから派生する付随文化紹介しかり。自分が能動的に何かを企画する立場ではないながらに。

収穫は期待以上に大きくて、昨年行った多くのイベントの中でも、最も「行ってよかった」度の高いものになった。そして、ここで、夏以来のモヤりの言語化のヒントにも出会うこととなる。

それがツーリストアート(もしくはエアポートアート)なる用語。

ツーリストアート(エアポートアート)とは

曖昧な記憶でまとめとくと、その土地ローカルでは根付いてないのに、土地の土産物として空港なんかで定番土産になるアート、のようなもの。

シンポジウムでの事例としては、ベナンの彫像群だった。その彫像群は何がきっかけだったか忘れたけど、宗主国の白人たちが土産物として好んで買うから、作り手が増えてった、とか。

内部の、自分たちのためのニーズでもなく、自分たちの文化の中での美の追求や価値観由来の発展でもなく、(主に)外界・からのニーズに応えて発展してしまう/させてしまうアートのこと。

で、アート史?界?としては軽んじられがちだし、むしろ疎まれがちな側面もあるらしいんだけど、ベナンの事例だと、ツーリストアートとして定着したその彫像・彫金手法のものが後に、ローカルな祭事の場面でも使われ始めて、ローカルな固有アートにも影響を与えはじめるから、無視したもんでもないのでは、みたいな話だった。

このツーリストアート自体、そんな立ち位置から軽んじられてるが故か、研究はそんなに盛んそうでもないし(ググってもあまり出てこない)、研究する側のフィールドも、アート系の一部としてなのか、文化人類学的に研究するのか、で、見えてくるものもすごく違ってきそうで相当興味深く思ったり。

デコトラ、トラックアート、ツーリストアート、ビジネス

そんな経緯も踏まえて、夏とは異なり、新しい概念を学んだおいらは今回、空港の土産物屋やその他の、パキスタン国内の様々な場面でこういったトラックアート派生の土産物を見てて、「トラックアートも最早、いわゆるツーリストアート」だなぁ、みたいに思った。

トラックアートはそもそも、デコトラという、とても限定的なものから始まっていて、ローカル固有で独特なものとして発達してきたものを、今やそれをトラック職人じゃないアーティストたち(や国も上げて、かな?)が、自国の文化として、ツーリストアート(に限らず国内でも各種アート)として利用しはじめてるシフト期ってのが現状な気がする。

なので、シンポジウムのツーリストアートとは始まりの経緯が若干違うものの、良いとか悪いとかではなく、でも、「デコトラそのものの何か」とは、既にちょっと独り歩きした類似別種のものだよね、と。

実際のデコトラのトラックアートはそれとして、今でも現地にしっかりとあった。どちらかというと、都市部ではなく、工場の多いエリアや地方、そして地方と都市をつなぐ幹線道路で目にする事が多い。

で、それと分化・並行して、都市部や商業的な場所、文化施設、国の玄関口とも言える空港では、トラックアート的アートビジネスらしきものが既に、着実に存在してるように見えた。

上述のニポンで親しくなったトラックアーティストたちも、現地の埃っぽいデコトラ整備工場で砂塵にまみれて実際にトラックに装飾をしている人たちとは別種の人たち。

職人ではなく、アーティストがデコトラモチーフを使ってアート活動や国際交流を実践している、という感じ。自認もあくまで「アーティスト」である。

そして、いわゆる「トラックアート」的なアートを手掛け、時折、国内のメディアでも「トラックアーティスト」としてインタビューを受けたりしているが、トラックアートと全く関係のないペイントも手掛けている。

彼ら経由で、パキスタン国内のその他の「トラックアーティスト」(Not 職人)も見えてくるようになったが、彼らの様に兼業アーティスト(トラック&モダン・アート)な人もいれば、完全に土産物的なツーリストアート専業で国内イベントを渡り歩くアーティスト、更に異なるジャンルのアートとの融合を試みるアーティスト、様々である。

くどいけどもう一度書いておくと、その優劣だとか是非だとか、そういうジャッジには全く興味はない。

これらはここから先、どんな風に発展してくのかなー、と、現在とこれからに興味がある。

後出しジャンケン

最後に後出しみたいに書いておくが、そもそも、トラック以外の、バスやリキシャや、何なら露天の荷台も類似のデコレーションを施すし、それらとは関係なく、宗教施設も各種祭事の場も違ったデザイン文脈でそれぞれ、華美な装飾はしてるんだけど、それはどこまでを同じ括りにしてよいのか、分けて考えたらいいのか、細かく考え始めたらキリがなくなるので、この記事では乱暴にデコトラについてのみ書いてます。

デコトラからデコバス、そしてリキシャや屋台への変遷の歴史は繋がりも深そうだし、並べて見ていきたいトコだけど。

2017/09/11

Kitendi - Réligion ya Kitendi - La Sapologie / コンゴ(共)とコンゴ(民)のサプール

FB で何かの勢いで繋がったコンゴ系ベルギー人ミュージシャンさんがシャーしてた MV が非常にシャレオツサプールネタ曲だったので、すっかりサプール気分になってしもたよ。でもコンゴ(民)のね!

Badi さんてのもコンゴ系ベルギー人ラッパーみたいだな。知らんかった。どうもコンゴ系ベルギー人ラッパーは渋め大人系オサレ系が多いな。これはこれで嫌いじゃない。いや、だいぶ好き。

タイトルの Kitendi は、元々「端切れ」のコトを意味するらしく(…と、今しがた Twitter で教えてもらったところw)、それが広義で「服」のコトを指すようになり、アチラではサプールのコトを指して “Réligion ya Kitendi” と言ったりもするのです。

おいらもまだまだ断片的で薄い知識しかないのだけど、ニポンで昨今話題になってるサプールは厳密に言うと川向う、コンゴ共和国(「民主」のつかない、首都がブラザビルな方。面積的にはちっちゃい方。旧仏領。)のサプールさん。そちらは昔も今もカラフル&エレガント系。

↑ これね。数年前のギネスの CM だけど。冒頭にも Brazzaville って出てくるし、正真正銘コンゴ(共)。

こちらは、去年の4月の西武渋谷店の写真展でいきなり目の前に華麗なステップで現れた、今回の大丸巡回イベントでも来日中のセブランさん。典型的なコンゴ(共)のエレガントサプール。いると思わずびっくりした。しかもめっちゃ寄ってきたので見事にブレたけどいい絵面になった。

そのサプール文化がその後、川のこちらがわのコンゴ民主共和国(首都がキンシャサの旧ベルギー領。旧ザイール。面積やたら広い方。独立後も政情不安続き。)にも渡ってきて、独自に変容しつつ、上述のとおり、 Réligion ya Kitendi なる「宗教」にまで高め(?)られてるのですよ…って、おいらが貧しい説明書くよりも、こっち読んでもらった方がいいですね。

ブランド物を着飾ってタグ見せびらかしつつ独特なステップで練り歩く、は確かに同じなんだけど、なんというか、多分、コンゴ(民)のサプールの方がアバンギャルドでややカジュアルで独創的でちょい悪風なコトが多いのかな。

↑ がコンゴ(民)のサプールさんの練り歩き風景。ドヤりポーズもわりと攻撃的だったりオラオラ感あったり、個人的にはねぶた祭のカラス族あたりと練り歩き合戦して欲しいと密かに常々思ってる。てか、多分もうちょっと年齢上のサプールはもうちょっと落ち着いた人もいると思うけど(…そうかな?うーん…たぶん)。

ちなみにね、有名ミュージシャンのお葬式とかにも全く以てこの調子のまま集団でやって来る。去年ライブ中に亡くなった、世界にサプールを広めたと言ってもいい Papa Wemba の葬儀にもこういう人たちがぞろぞろやって来て、ぞろぞろ練り歩いてた。傍から見たらすごい絵面なんだけど、彼らにとってはそれが一番の敬意の表し方なんだよね。

あ、キャプチャあったわ。

お葬式のサプールのみなさん

一周忌のサプールのみなさん

あれあれ、なんだか他にも書きたいネタがあったようななかったような気がするけど、なんかもう今日はサプール話で締めちゃったらいいかな。

大阪・名古屋・東京・札幌(だったっけ?)の大丸でのコンゴ(共)のサプールのみなさんのイベントも始まったようですが、上で Kitendi の語源について教えてくださった、80年代にコンゴ(民)に1年以上滞在してて、リンガラ語がコンゴ人に太鼓判押されるくらいに堪能で、ディープな所でディープな写真ばかり撮ってる写真家の酒井さんが、ディープなサプール裏話イベントを画策中のようです。

先日、酒井さんの Fela Kuti 20回忌的トークイベントにもお邪魔して来ましたが、これまた、色んな意味でディープすぎて知恵熱出る勢いだったのですが、コンゴの酒井さんはもっとディープにならざるを得ない筈なので、これはヤバいと思います。

なにせ kitendi 教の教祖と言われる Stervos Niarcos はじめ、コンゴ(民)の音楽の巨匠ぞろぞろ直接ご存知だった、ニポン人としての実質唯一のコンゴ(民)における復刻サプール生き証人とも言える方なので。

ぶっちゃけ、コンゴ(共)の「平和を愛するサプール」的なものを期待してしまいそうな普通の方々に積極的にお薦め出来る内容なのかどうかすら怪しいヤバさだと思います。うわぁ~わくわく。

2017/08/21

エル・スールさん戦利品 / Zaire74 → Minganji → Stukas → Tシャツ

戦利品、じゃじゃーん!

7月に出た Werrason の 7 jours de la semaine 、現地で発売の日早々に Spotify で聴いて、めっちゃ気に入って、あまりに気に入ったもんで、入荷の予定の有無もお構いなしに「もし入ったら1つ取り置きで!!!」と、El Sur Records さんにお願いしてたのが無事届きました。わーい。

渋谷って意外と立ち寄らず、先週から都内その他エリアに出ずっぱりってこともあって、さて、いつ回収に向かうか、と思ってたら、突然某所で某 Qawwali をどっぷり聴ける機会に潜り込ませてもらえることになったため、帰国後はじめてきっちりサルワール・カミーズ着て、エル・スールさんに寄って、コンゴの CD を買い漁る、という珍妙な展開に。

お店に向かいながら、さて、 Fally Ipupa の Tokooos はどうやら既に完売らしいし、 Light Music はどうするか、うーん、なかなかよいし、早逝したギタリストの Jonathan Licompa くん追悼を込めて買っちゃおう、までは思ってたんだけど、店の棚見たらその脇にあれっ。

つい前回の記事で勢い買い込んだばかりの、記憶に新しいデザイン。 Zaire 74 の CD まで再入荷してる。

先月~今月はわりと要りようで出費もかさむ時期だし、そもそもここのところモノを増やしたくないと思ってる時期だし、と、多分3~5回、手に取ってはひっくり返し、戻し、を繰り返したけど連れ帰ることに。あああもう。

で、帰って翌日、 iTunes に取り込もうと曲リスト眺めてて、ふと、2枚め最後の曲 “Pembe Dance Song” by Pembe Dance Troupe ってのが目に留まる。この人たちはどこの国?ってググってびっくり。

なんだよ、おいらの愛してる、Twitter のカバーフォトにもしてるコンゴのマスケット、Pende Minganji じゃないか!!! CD にもどこにも大々的に Penbe って書いてあるけどこれ、 b じゃなくて d の間違いでしょ!!!

てか、この映像、以前にも見たことあったけど、 Zaire 74 、もしかしてこれがトリだったの?てか、どうやらおいらの見逃した Soul Power にもこの映像出て来るの??うわーん見なくちゃならないじゃないかー!てか、もう一度言うけど、 Pende っていう部族の Minganji っていうマスケットだから!映画でも b で流布してるってことだよね?

誰にも頼まれてないけど、おいらの他力本願な Minganji コレクション開陳しましょうかね?あれ、Pinterest ウィジェット、記事中には貼れないのかな。あっ貼れてるっぽい。

YouTube でも Pende プレイリスト作ってるよ。 Minganji いないヤツも入ってるけど。トラッドなダンスも、ひっそり Soukous の MV に Minganji が友情出演(?)してるヤツも見つけ次第入れてってる(けどなかなか増えない)。

なんかダンスムーブメント見てると、見た目の癒し系マペット感を裏切るなかなか攻撃的なヤツだよね、Minganji 。ちなみに、普段 Minganji って言うことが多いけど、リンガラ語で Minganji は複数形らしいので、コイツが一匹の時は Munganji なんだとか。


なぁんて Minganji 語ってたら Tシャツ届いた。

なんか他にも書こうと思ってたしょうもないネタがあったようななかったような気がするけど取り敢えず週末まではこんな感じ。


…とか言いながら、 Zaire74 でだいぶ気に入った Orchestre Stukas 掘り出しつつ。

やばい、かっちょよすぎる。古い方々でここまでしびれたのはじめてかすら。掘り出すとキリなさそうで恐ろしい…コンゴ沼…。

あー、いいもの観たし来週も頑張るぞ!コン活な!

2014/03/06

四半世紀と下世話なヌード

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最も嫌いな年代は90年代なのだが、どうやらおいらの記憶は90年代で留まっているのかもしれないと気づいた。

Twitterで誰かが90年代を「二十数年前」と表現した言葉を見て、ああもうほぼ四半世紀なのか、という事実に改めて驚愕したのだが、

  • 未だに90年代を「現代」感をもって認識してる
  • だけど80年代は「近代」感。要するに、過去のものという認識にある

というのがおいらの中での感覚のよう。

「記憶が90年代で留まっている」というと若干語弊があるが、以降の事件であるとか流行であるとか、同じ場所(国)にいて同じ時代を暮らしてたら共通して持ってそうな記憶が意外と少ない。

要するに、ニポンに暮らす人間としては、90年代以降の世事に疎いのだ。多少異国に行く機会は多かったものの、生活の場として日本を離れてたワケでもないのに。

80年代までは色々な出来事がしっかりと記憶にあるし、その時代に参加してた感覚がある。それが故にしっかり過去として消化されてるのかもしれない。

おいらにとっては、脳内が色々な異国に行きはじめてしまったのが90年代頃なのも大きいと思う。

ああそうか、国内から国外に目が向いてしまった大きな理由のひとつは、やはり、何より90年代のニポンが好きになれなかったせいなのかもしれない。
(いい具合に冒頭に戻る)

話し変って、訳あって我が家にあった下世話な週刊誌に付録として入っていた、B5変形で八つに折られたヌードのおねいさんのポスター。

これが、背景のプレーンな青といい、肌の質感といい、おねいさんの髪型といい、表情といい、実際の輪郭とは異なる所に描かれた下まぶたのアイラインといい、なんだかとても80年代感を感じて、懐かしくて、ついうっかり椅子の後ろに貼ってみてる。いい。

子供の頃、どこかでうっかり見かける下世話な雑誌に載ってたおねいさんてまさにこういう感じ。子供の自分にとっては、若々しい女性というより、エッチ系のナニカに出てくる大人の女性は、なんというか「くたびれてないオバサン」というイメージだった。

なんだろう、おおらかで優しそうで、それなりに若い筈なんだけど、ちょっと野暮ったくて、ワカモノらしいキラキラ感とはどこか違う雰囲気を持った大人のひと。

気づけば彼女たちを軽く追い抜いてるワケだけど、結局、ああいう雰囲気を醸し出すような大人の女性期はスキップしてしまったようだなぁ。意外と憧れてたんだけど。や、脱ぐかどうかは置いといて。雰囲気ね、雰囲気。

翻って現代。今や、AV女優のかわいさレベルが異様に高くて何が起きてる、みたいな話題を目にする時代だ。確かにやたらかわいいんだよね、最近のAV女優。いえ、本編は見てないので実際どうなのかは知りませんが。

なのに、そんな時代なのに、中高年向け下世話雑誌のピンナップガールは、今でもあの、80年代の、くたびれてないオバサンのイメージのまま存在してたってのがなんだかとても嬉しい。

嬉しいっていうのはちょっとヘンに聞こえるかもしれないけど、彼女たちをとっくに追い抜いた、正真正銘の BBA になった今見ても、当時のイメージそのまますぎて、あぁ、あれは自分の「子供目線」が故ではなかったんだな、という答え合わせが出来た感じなのが嬉しいんだ。


ああ失敗した。書きはじめの日時ログしなかったので、今日は書くのにかかった時間がわからない。

そう、いつもね、ヘンな数字を冒頭の見出しに入れてるんだけど、アレは書き出した日時なのですよ。公開時間はブログ側で出るから、公開までにどのくらいかかったかの目安にしたくってね。

書きはじめを意識して、あんまり長々時間をかけずに書くようにしたい、ってのがはじまりだったんだけど、書きはじめるといつも時間気にしないで延々書いちゃうから意味がない。けど目安としては面白いから、いつも入れとくんだ。

あとでちゃんと「○○分」て計算して記録しといた方がわかりよいんだけど、それはそれでめんどいしな。

多分今日は0215くらいスタートだったかな…というワケで改変しとこう。よし!

2014/02/04

Soukous と Sapeur とコンゴの近現代史と

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昨夜ふらふらとコンゴの歴史っぽい色々をググってた。

なんというか、ちょっと掘れば掘るほどに、パキスタン同様……いや下手すると、よりいっそう深刻な問題が多そうな土地だし歴史な気がして眉間に皺が寄りますね。

まぁ、まだまだまともに理解出来てないし、アフリカでかいし複雑だし、学生時代は歴史の授業が一番の苦手だったし(今は興味ありありだけど、サボりすぎてたが故に基礎知識も薄い)、コンゴも、ちがう、今後も、じっくりと折に触れ勉強はしてこう。

とりあえず、歴史周りではじめて日本との関係に行き当たったのが、

Uranium extracted from the Shinkolobwe mine in the DRC was used to produce the atomic bombs dropped on Hiroshima and Nagasaki during World War II

― Did You Know? - Eastern Congo Initiative1

第二次大戦で広島と長崎に落とされた原爆の元になったウランがコンゴのシンコロブエ鉱山2というウラン鉱山なのだそう。

いや、まぁ、ホント、だから何だって感じですけど、そもそも原爆の原材料の産地なんて発想自体なかったわ…。

で、歴史を掘ってたつもりが、 Soukous そのものの歴史を、実際のコンゴの歴史的背景とディープに併行して書いてる記事に出くわしたのでリンクだけ貼っとこうかと。

しかも、音楽ブログとかじゃなくて、国産の旅行記系 SNS とも言えるフォートラベルに書かれてるという。意外とコンゴあたりの旅行記、アツい内容がありそうなので、コンゴも……いやいや、今後も眺めに行ってみよう。

いやいや、なかなかアツい内容で、素晴らしいです。

ここ半年(もう越えたか)、やみくもに色んな Soukous を聴きまくったお陰で、文中の大半のミュージシャンは認識出来るものの、こんなに体系だって、しかも英語どころか日本語で書かれてるなんて素晴らしい!(現地、フランス語かリンガラ語か、その他アフリカ諸言語なのでお手上げ感強いの……。)

個々のミュージシャンの活躍年代は薄々把握してたけど、なんというか、骨張ってた知識にちょっぴり肉がついてちょっぴり凹凸が出来た感じで嬉しい。それぞれの人を改めて噛みしめて聴いてこう。

でもって、結構コンゴの独立の歴史と歩みを共にしてる感じでもあったのですねぇ。

ていうか、猿、日常的に喰うのか……。

で、上の「講座その2」に出てきた、

1977年、ザイコから分離したヴィバァ・ラ・ムジカを結成したパパ・ウェンバは、若者に自立を説き、サップという独特の若者のおしゃれを説いた。 かくして、社交界のリンガラは、パワフルな演奏にのって、若者たちが、嬉々として汗を流しながら踊る音楽へと進化した。

ここであの、サプール (Sapeur) とパパ・ウェンバが、はじめて顔や名前や形のある状態で頭の中で繋がった。

しかも、今年に入って、欧州のギネスが CM でサプールを取り上げて、ショートドキュメンタリーなんか作ってたんだね。なんてタイムリー! ロケ地は DRC(コンゴ民主共和国 - 旧ザイール)じゃなくて Congo-Brazzaville (コンゴ共和国)の方みたいだけど。

こっちが CM 本編みたい。やばい、かっこいい。

で、色々掘ってみたのですが、パパ・ウェンバ、未だにサプール第一人者として必ずあちこちに出てくるし語られてるのですね、今でも。

※トランスクリプション付きの動画の元記事も発見しますた。

そして、原爆の次にまた、予想もしないところで、恐らく日本人の大半は預かり知らない日本との関わりが。この動画以外でもそうだったのですが、サプールの愛して止まないデザイナーズブランドナンバーワンはどうやらヨージ・ヤマモトのようで、日本製のローファーなんか手に入れたらもう、勝つる、という勢いなのですね。

Soukous 聴いてて、よく歌詞でジャポネ~とか出てくるのって、ホントにすごい確率で耳にしてて、ここまでの頻度で日本が出てくるのもおかしいし、きっとジャポネに聞こえる何か別の単語でもあるんだろう、って思ってたのですが、お洒落の代名詞っぽく歌詞に日本が多用されてる、とか、あるのかもしれない。

あぁ、おフレンチが理解出来るようになったら曲の理解も進むだろうか。……と思いきや、結構しっかりリンガラ使ってたりもしそうなんだよな。

2014/01/14

デジタルちゃいろ[42]節目いろいろ

この記事はメールマガジン「日刊デジタルクリエイターズ」に書き下ろしたした記事「デジタルちゃいろ[42]節目いろいろ」の元原稿です。加筆は一切してませんが、掲載時点で古くなってしまったリンクやそれに纏わる文言のみ一部削除している可能性があります。

あけましておめでとうございます。

正月早々、いきなり厨二臭いコトを言い出しちゃいますと、明けたら何が目出度いのか、正直よくわかりません。慣習上、どんな根拠になってるのか、何故目出度いのかを論理的に教わった記憶もありません。

調べたらああなるほど、な根拠はあるのかもしれませんが、もの凄い能動を以て調べないとわからない程度には身近とは言えない根拠を持ち出されても、それはそれで困惑してしまいそう、というのが正直なところ。

ですが、これが面白いもので、毎年毎年毎年毎年同じ時期に同じテンプレに則った「目出度い」とされる行為を繰り返しているからか、新しい年が明けた、というそれだけが、あたかも目出度いコトのように思えてくるのですよね。そんなコトがふと我に返ると不思議だったりします。

誰でもどこの国でも、なにがしかの期間の反復での一巡を終えて、更なる新たな一巡を開始する、開始できるコト自体を喜ぶ、というのは広義では共通してる感じがしますよね。

日本だって、正月に限らず、成人式や七五三あたりは、自分も通ってきた道として身近に根拠を理解出来る節目行事ですし、個々人の誕生日なんて万国共通、最たるもの。実際、正月も同じコトなんでしょうね。祝う対象が人ではない、というだけで。

こと、正月については、東亜細亜だと日本以外は今でも旧正月が重んじられてる感じがします。あっ、Wikipedia先生によると、東南亜細亜方面も結構、旧正月派なのかしら。

というか、旧正月を旧正月と呼んで、新しい正月をグレゴリオ暦の初月に置きかえちゃってるのって日本だけだし、その他の亜細亜地域では「正月」という言葉そのもの自体が旧暦の1月のコトなんじゃないですか!

やだわ、正月ですらガラパゴスに孤立してただなんて、今の今まで知りませんでした。いつから日本だけそんなコトになってたんでしょうか。

なんて、やや大袈裟そうにそうは言ったものの、グレゴリオ暦の1月1日を迎えるに当たっては、全世界なんとな~く、おめでたムードにはなるので、何も日本だけそこが特異なワケではありません。

とはいえ、他の国って意外と、その国特有の新年……というよりは年の節目たる年間最大イベントが、数字上の初月初日以外の根拠で別の時期にしっかりあるコトが多い気がします。

日本てどうなんだろう。祝日マターで見ていっても、社会的に長期休暇を取りづらいかわりに、国民の祝日の年間日数は異国より比較的多いと言われる日本ですが、正月以外にほぼ万人が節目感を高めるその他イベントなんて、ありませんよね?

近代の年中行事だと、バレンタインやハロウィン、クリスマスはあまりにも商業ベースだし、万人向けかというと微妙にそうでもない。夏休みなんて業界によりけりで、お盆に必ず取るとも言えたものではない。成人式やこどもの日や勤労感謝の日や敬老の日は節目モノとはいえ、一応対象者が限定されてる。

ワタシの乏しい南亜細亜界隈の知識からだと、印度の主要地域をはじめとするヒンドゥ圏では主に10月のディワリが新年となるらしい。

印度は9月頃から延々、各種お祭りシーズンに入る。ここで面白いのが、各種お祭りに対しての思い入れは地域性によりけりで、ディワリは一応、基本的にはラクシュミ様が主役。

なのですが、別の神様がその土地で最も人気のある神様だった場合には、そちらの神様が主体のお祭りの時期の方がその土地ではディワリ以上に盛り上がってたりするらしい。

例えばムンバイでは、ディワリも勿論行なうんだけれど、日本でもお馴染みの象頭のガネーシャ信仰が強いので、ディワリより先に行なわれるガネーシャ祭りの方が皆さん力入ってたりするそうです。

なんだろう、本音新年と建前新年、みたいな? そんなお祭りが約ひと月違いくらいで立て続けにやってくるのだから、印度の秋は、所により文字通り「盆と正月が一遍にやってきた」状態になるのだそうな。ちょっと楽しそうでもある。

同じく南亜細亜(に留まらないと思いますが、地域性との融合度合いが不明なので)、パキスタンをはじめとするイスラム圏では犠牲祭の大イード(新年…というより新年を迎えるホリデーシーズン開始、みたいな)とラマダン明けのイードがあったりする。

こちらはそもそもが太陰暦スパンのヒジュラ暦ベースなので、グレゴリオ暦のいつ、という置き換えは効かない。それどころか季節ともズレが生じるので、同じ祭事が夏になったり冬になったりしていく。

ここ最近はラマダン(断食月)が夏場になってるようなので、ムスリムの多い暑い地域は大変だろうなぁ、なんて思う(……のは門外漢が故の大きなお世話かもしれないけど)。

そんな南亜細亜のワカモノたちも、社会的階級や環境によっては、自分たちにとっての年間最大イベントとは捉えていなくても、グレゴリオ暦1月1日の新年明けイベントは行なったりもするようだ。

アルコールを伴ってるかどうかは置いといて、お祭り騒ぎの理由付け的な意味では、まさしく「いちがつーはしょうがつーで酒が飲めるぞ、酒が飲める飲めるぞ、酒が飲めるぞ」である。

欧米の、主にキリスト教が宗教の中心に不文律的に存在してる地域でもニューイヤーイベントはあるだろう。正直そちらはあまりよくわからない。

わからないながらに思いつく推測としては、恐らく、元旦より1週先んじてるクリスマスの方が本気だし本番だし、実質、1月1日なんて、ホリデーシーズン折り返し地点ののろしとしての花火打上げ、くらいの意味合いなんじゃないかしら(偏見)。

本気のクリスマスといえば、十ウン年前にクリスマス前後にスペイン旅行に行ったときは正直閉口した。普段やってるお店やレストランも、自分たちのための非営利の、本気クリスマス準備のために、極端な営業時間短縮や休業に入っており、外食にも難儀したのだ。

実は旅に連れ立ったのが高校時代の同級生で、実はその母校というのがミッション系だったので、実は必修科目としてミサをはじめとする宗教行事に参加させられたり賛美歌歌わされたりとかは在学中の日常行事であった。

そんな経緯もあったので、その土地のクリスマスのミサってどんなかね、みたいな共通の興味があり、クリスマスの夜は軽い気持ちで近くの教会を訪れた。商業施設も閉まりまくってるし、行き場も限られてたしね。

(余談だが、ワタシに限って言えば、その高校に入ったお陰で、入学前までは持ってた筈キリスト教に対してのよいイメージはガラガラと崩れたし、現在のイスラム萌えに至る道程ではこの時期の反発心も大いに一役買ってるのではないかと疑ってる。そんなのも「縁」としか言いようがない。キリストさまとワタシはご縁がなかったんだな、と思ってる。)

単なる好奇心で混じり込んだものの、全員が賛美歌歌う、みたいな場面に至り、どうやら手に手を取って賛美歌を歌う、という運びらしい。そこではじめて横に立ってたおばちゃんがこちらに一瞥をくれた。

どう見ても土地の人間ではない東洋人の小娘たちを二度見するも、「同じ信仰があるなら言葉なんて!」とばかりに、言葉は一切無しで、奪うように手を繋がれ、共に賛美歌歌いながら、内心では、いやごめん、クリスチャンなワケではないのよ、ホントごめん……と申し訳なく思う。

本気クリスチャンがデフォルトの国はやっぱりクリスマスは本気だし大まじめですよね。米国はよくわからないけど、欧州は結構ストリクトで保守的で大まじめな所多い気がするな。

そうやって考えるとムスリム国と本質的には同じなんだな、という気もします。単に、宗教由来の行動規範が、欧米の物差しで、当たり前と受け止められるか、異質と受け止められるか、の違いだけですよね。

さて、この新年話、今回の記事の触りにちょっと書きはじめたつもりが無駄に膨らんでしまったけど、うまい畳みどころがいまひとつない。

1月1日に限らず「新年」の祝いの背景は現代でも意外と宗教に根付いてる所の方が主流なんだろうな、と思います。世界的に見たら。

どちらかというと「重要なまつりごと」が「明けた|明ける」から目出度い、みたいに、「明ける」こと自体が主役ではないのかもしれない。

大戦後に残念な形で宗教と決別せざるを得ず、宗教全般を頭ごなしに、弱みに付け込む胡散臭いもの扱いするしかなくなってしまった日本は、明けたコトそのものに縋るしかないから心許なく感じるのかもしれない。

ワタシ自身のこの新年は、例年以上に正月らしいコトはしませんでした。最近、和出汁にちょっと凝ってる配偶者が、暮れに先行して雑煮を作ったりしてましたが、以降、年越しそばも食してないし、年明けてから餅すら食べてないわ……。

正月についてはそんな扱いになってしまいましたが、個人的な年中行事は世間とは切り離してしっかり楽しまなくちゃいけませんね。

取り敢えずは自分と配偶者の誕生日とか、結婚記念日とか、その辺でしょうかね。大抵、配偶者の食べたいものを食べに行く贅沢グルメの日にされてしまいますが。

あっ、それこそまさしく「酒が飲める飲めるぞ、酒が飲めるぞ」なのだな……。

どこかの国の音楽

"Alingo" by P Square

個人的には引き続きアフリカはフランス語圏に萌えっぱなしですが、今回はアフリカ英語圏、ナイジェリアのP-Squareのお二人を中心とする群舞をどうぞ。

もうこの、衣装にしろ無駄CGにしろダンスにしろ、清々しいまでに突き抜けたダサさがすごい。しかも、そんなダサさも我が道を半周しちゃえばかっこよく見えてしまう、みたいなダサかっこよさがなんともクセになるのですよねw

この人達、過去にはそれなりに洒落乙風アフリカンポップスもやってないワケじゃないのですが、年々、鋲付きのハードレザー肩パッドバーン、みたいなスタイルへの執着が隠しきれなくなってる感じです。

結構最近の動画だと、直球でマイケルジャクソントリビュートな動画とかも出してるので、ああいうやり過ぎ感のあるエンタメ、真骨頂なんでしょうね。

……と、P-Squareをダサいダサいと半笑いで紹介しといてナンですが、英語圏は全体的に垢抜けた感じがします。やはりガーナ・ナイジェリアあたりは大都会感強いですね。

YouTube眺めてても、うまく表現できないけど、動画の各種クオリティが都会のキー局(英語圏)見てたら地方CM(仏語圏)流れてきた、みたいな落差かも。それでもやっぱり仏語圏ラブなんですけどねっ!

後記

正月は北海道、道東のとある漁師町で、二歳男児のいる暮らしを垣間見てきました。考えてみたら男の子ってこれまであまり縁がなく、しかも1週間近くというそれなりにまとまった時間、近くで眺めていましたが、女の子とは別のイキモノですね、あれは。

言語コミュニケーションの初段階に入ったばかりという時期だったこともあって、今は時折人間語の混じるインコのさえずり、はたまた宇宙との交信、みたいな感じで、色々と面白かったです。