Random flickr of mine

2022/11 移転しますた。 https://140.browneyes.in/

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2013/12/31

夏休みの宿題的大晦日を迎えております

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これは参った!

元日発で出かけるため、大晦日のうちに済ませておかなきゃいけない作業がありましてね!今夜もさっきまでやってたんですけどね!あと半分残ってるワケですよ!のんびり風呂になんて浸かってる場合じゃなかった!

……と、びっくりマークだらけの短文だけ書き残して作業に戻るんだ!

師じゃないけど師走大詰め!

なんか書きたい、というか、思考したいお題がいくつかあるんだけど、まだもやもやとガス状だったりしてて、しかもこんなドタバタ(そして新年暫くもきっとバタつきそう)なので、せめて気化しないように気をつけたいところ。

2013/12/30

2013年にやたらと聴いたらしき10曲+アルファ(南亜細亜&アフリカ)

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案の定、どこの特定クラスタさんにも「はぁ?」な曲が混じってる、おいら以外の誰もが面白くなさそうな結果になりました!あははぁ!

集計方法の根拠は、あいつーんずを……と思ったものの、今年だけの数字が拾えなそうだったので、主においらのLast.fmの12ヶ月再生回数ランクから、あいつーんずでRatingが★★★★★だったヤツら。

あいつーんずって、おいらの場合好きなの選りすぐって聴く、というより、まんべんなく聴こうとしてしまうので、再生回数=好きな順とは言い切れない気はするな…。

本来はあいつーんずで聴いてたヤツよりYouTube集計したい気がする。音源なくて散々視聴してるのとかあるし。

意外に不思議なラインナップになってるけど、前半はタラちゃん祭り、後半はアフリカ開拓祭りという大まかな動きは明確に踏襲してるとも言えますね。にしても不思議なラインナップだ…。いくら何でもなので、南亜細亜とアフリカとに二分くらいはしときましょうねw

南亜細亜

総括

今年は中盤から後半にかけて、唐突にアフリカづいてしまったせいで、実際は南亜細亜の音楽自体の視聴機会が5~7年ぶりくらいで激減した風変わりな年。そのせいか、一部の映画音楽以外はあまり出てこなかった模様。でも暮れにさしかかって、ちょっとパキスタンのポップス界隈に少しアンテナが向いてたりもする。どの程度の熱の入り方になるかはまだ不明。

Welcome Kanakam (Baadshah) - Soumya Rao & Jaspreet Jasz [Tollywood]

恐らく川口での上映に行く前にもりもり聴いてた名残だとは思うのですが、これは確かによく聴いてました。結局現地で指笛一緒に鳴らす…には至らず。

Banthi Poola Janaki (Baadshah) - Daler Mehandi & Ranina Reddy [Tollywood]

ちょっと Baadshah ばっかり入りすぎだろ、しかもタラちゃんの真骨頂のノリノリ系ですらない曲だし…とも思うのですが、まぁ、カジャルたんは可愛いですよね…。

Sairo Sairo (Baadshah) - Ranjith, Rahul Nambiar & Naveen [Tollywood]

こちらも上位に浮上してるのはいささか謎なのですが、 Banthi Poola Janaki よりは好きだったかな。ていうか、今年前半のこの Baadshah よりも、後半の Ramayya Vastavayya の方がよっぽどダンスも曲も好きな筈なのですが、 RV はまだまだ意外に聴き込んでないのですねぇ。我ながら意外でした。

Humka Peeni Hai (Dabangg) - Wajid, Master Salim & Shabab Sabri [Bollywood]

で、何故かここにきてだばん無印w 何があったんだ? 他によく観てたボリもの動画もいっぱいある気はするんだけど。

アフリカ

総括

いやー、アフリカ方面に急にアンテナ立っちゃったけど、一過性で終わるかと思いきや、意外に長引いてる。まだまだまだまだ掘り足りないですねぇ。意図せずフランス語圏がどうも好きっぽいですが、来年もどちらかというと非英語圏中心に掘りたいかな。英語圏の方が都会的で洗練されてるんだけどね。だっさいの最高!

Hustler is Back - Fally Ipupa [Congo: Soukous]

アフリカとの出会いを泥沼化させたのはこの Fally たんの分厚い唇と、この、 Soukous というコンゴ発の音楽ジャンルなワケですよ。コンゴ万歳!この動画も、はじめて見たときは色んな意味でたまげたもんですけど、今はなんとも思わず一緒に踊り出しちゃいますわ。栃木ヤンキーみたいな髪型(黒髪の方)になってるちびっこダンサーちゃんなんて、ダンス上手いよなぁ、って大好きになっちゃったし。さっぱり理解出来ませんか? えぇ、慣れってそれくらいすごいんですよ…。

Sai - Kanda Bongo Man [Congo: Soukous]

古め大御所、神田ボンゴ男さん、この曲の動画なくて残念です。他はちょこちょこライブ動画あるんですけどね。この方の全盛期はいつなんだろう、80年代? 上の Fally たん動画にも散々出てくる腰振り系ダンスの原型、 Kwasa Kwasa ダンスは、この方あたりの全盛期頃が黎明期のようで、今も脈々と受け継がれてるようです。\ Kwasa Kwasa / \ Kwasa! / なかけ声フレーズはこの曲に限らずよく出てくる。

Africa Hoyee - Toofan [Togo]

そもそものアフリカハマりの超初期のきっかけはこの Toofan の別の曲。Toofan に出くわしたのはそもそも、テルグ映画のThoofan (表記揺れで当初は同じスペルの Toofan が主流だった気がする)をググってたらよく浮上してきたせいで、うっかりクリックしてしまったのがきっかけ。そう、南印のせいでアフリカ。まぁ、南亜細亜以前は欧米先進国側のクロい音楽ばかり聴いてたので、ある意味不自然な流れではなかった。この曲は新しくはないけど、2010年のワールドカップでは非公式なアフリカ賛歌的な位置づけにもなってたらしいので、彼らの代表曲とはいえる。

Gweta - Toofan [Togo]

こちらは曲…というよりは、今年 Toofan が仕掛けた新しいダンスのデモ曲。アフリカに行っても Toofan にしろ Fally たんはじめとする各種 Soukous にしろ、やっぱりダンスありきで惹かれてる気はします。

ていうか、\南亜細亜だけじゃなくてアフリカも群舞/

Toofan ももはや、主役の二人より、常に一緒に踊ってるダンスチーム Cool Catché の、ダンスはピカイチな Armattoe さん推しです。この動画ではオレンジの短パンで踊っております。ダンスはじめるとひどく不細工に見えるんですけど、ダンスで右に出るものはいません。……なんて、この動画では多分わからないと思うけどw

Courreur De Jupon - Ferre Gola [Congo: Soukous]

この動画、明らかに歌部分と映像、合成なんですが、ライブの雰囲気が薄々感じられるしいっかな、とチョイス。とはいえ、この映像だとまだまだ微妙にわかりづらいけど、通常、 Soukous は結構な人数のダンサーとかコーラスとか雄叫び役を引き連れて結構豪華。めっちょ楽しいです。でも Ferre Gola たんはライブの仕切りは悪い印象で、よく野心溢れる男子ダンサーが壇上で暴走したりします。イマドキの若手ライバルな Fally たんはなかなかライブ巧者かな。エンタテイナーって感じ。

Solola Bien - Wenge Musica [Congo: Soukous]

これもギリギリ、ランクインしてるとはww なんかみんなで日の丸ハチマキして似非空手胴着着てて、チンパンジーも乱入したりと、映像的にさっぱり意味のわからないシュールな一品です。あ、他のも、普段からこっち系の動画観てない方々には充分ヘンでしたかね…。

番外編

コレがないのは腑に落ちなくない? というのをいくつか。南亜細亜もアフリカも。

Waris Shah - Asrar [Pakistan]

パキスタン、最近はイマドキのオサレ系アコースティックスーフィー歌手、みたいな人が結構目に付く。この人のはオトと映像で惹かれてるんだけど、歌詞も綺麗っぽいのでちゃんと知りたいところ。

Sapne - Shamoon Ismail [Pakistan]

今年前半よく聴いてたな。悲しい系。

Fanta Dance - Tiesco Le Sultan [Côte d’Ivoire: Coupé Décalé]

コンゴの Soukous と双璧を為す、おいらのアフリカどハマりの元凶である Coupé Décalé 。Soukous よりさらにアップテンポで享楽的でたまりませんね。テンツクテンツクスッテンテン テンツクテンツクスッテンテン。そしてやっぱりこの世はケツですよね!

やだ、纏めだしたら楽しくなっちゃって長々あれこれ書いちゃった。けど、やっぱり全部を楽しんでくれる読み手なんて絶対いないよね!気にしないけど!

他にもあれもこれも、って思ったけど、本文と脈絡なく、コンゴもテキトウに embed してけるし、慌てるな、おれ!

2013/12/29

「怒」とか「哀」とか、その他ただの書き散らかし

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ヤマなしオチなしまとまりなしな書き散らかしにもタイトルつけないといけないのがブログの微妙なトコだな。いや、(一応本職だし)タイトルのない体裁で運用、とかだってやろうと思えば出来るんだけど、このブログはCSSは弄っても基本機能やテンプレは極力弄らないでやってきたいんだよね…。


さてさて、また数時間耳にイヤホン突っ込んだまま何も聴かずにマシンの前に座っております。体調不良で伏せっている配偶者にも、「あんた同じ所(PCの前)に居すぎじゃないの?」と言われる地蔵っぷりです。

先週末にあったささやかな出来事から気持ちが上手に癒えきっておらぬ為に、あんまりメンタルよくないのですよね。えっ、 Tweet とか見てるとそうは見えない? インタネットなんて、基本、現実逃避ですからね。ぷりてんどしてますよ、ぷりてんど。

いえいえ、全方向に Pretend はしてないし、おいらの場合は対面でしゃべるよりもむしろ、ネットの方がかなり素に近いようには思うのだけど、それでも、喜怒哀楽の真ん中二つ、特に怒りの方は、多少なりとも自制してるのかも。という程度の意味合いの pretend 。

そんなに意識的にしてるつもりはないので、自分のコトなのにまた、妙に曖昧な言いっぷりだけど。

野放図に怒りを放出すると、負の連鎖が始まるんですよ。で、その負の連鎖って、行き場がなくて、結局は自分の顔面にピシャッと跳ね返ってくる。こんなに非生産的なコトはない。

あぁ、そうやって考えると、今回の己のダメンタルの根源は「怒」かと思ってたけど意外に「哀」なのかな。

上述の通りで、怒りを抑えるのは無意識のうちに、上手に自制出来るようにはなってるみたいなんだけど、実は「哀」についてはいつまで経っても難儀してる気がするのですよね。

その辺については以前も触れたけど、正しく消化なり昇華なりしたいところです。哀しみのやり場についてはかなり取扱注意だな、って思うので。

まぁでも、そのこと自体をこうやって言葉に出来るようになった分、遅れ馳せながらの回復期ではあるのかな、と。はたまた、癒えぬままのオーバーフローか。いずれにせよ、生々しいまでの現在進行形の間は、そんな気持ちは書きたくないし、多分書かないけどね。

とにかく、おいらにだって、そんな時はあるわけですよ!

元気出てきたらまた運動も再開するけど、今はしばし地蔵でいいや。贅沢と無理は敵!

多少の自制が効いてる「ネット」や「他人行儀なオフライン」ではない場所にいる配偶者には、「怒」にせよ「哀」にせよ、押さえが効かずに放出してしまう結果にはなってるだろうから、多少申し訳ないですね。原因によりけり、にはなりますが。

既にインタネットのあちこちでも、この1年総決算モードになりつつある感じかな。まとめMix、10大ニュース、来年の抱負などなど。

おいらもそんな感じのお題を考えてみようかしら、と思ったものの、趣味ベースだと、どのジャンルも他の人より広すぎて薄すぎるので、なにも纏まらなそうw 暮の間に何か思いついたら纏めよう。

今日もまた、ランチ後の皿洗いタイムにいくつかの思考がバターになってしまいました。あぁ、これほんと、どうにかならないかしら。

そうそう、昨日、中学時代の友人からメッセージが届いた。中学時代の友人といっても、中学時代には全く違うグループだった。違うグループっていうか、違いすぎるグループだった。なんせ彼女は当時、学年イチのスケバン(死語)だったので。

そんな彼女とは卒業後に度々ちょこっとした縁があり、すっかりオトナになって、同窓会で再々会して以来、つるむようになったのだ。

今日届いたメッセージは、彼女にとって、とても嬉しかったコトの詳細報告、のようなもの。随時(簡易)報告は大分前に聞いてたけどね。で、詳細報告を眺めて、あぁ、彼女も頑張ってるなーと。

ここ数年は、おいらが時間的・懐的・心的余裕のいずれかが今ひとつだったが故に、会う機会も減っちゃってたんだけど、久しぶりに遊びたいなーと思ってる。ここのところは彼女の体調が今ひとつっぽいので元気になった頃に。

物理的に会う機会は減ってるけど、彼女は多分、そういうのとは関係なく、長いこと続いてく、数少ない友達なんだろな、と思う。

しかしアレだな、こうやって振り返ってみると、おいら、心の余裕をなくしてる期間が、思ったより長すぎやしないか? これはもう、一時的なモノだ、いつかは余裕が出来るはずだ、その時まで頑張ろう、とかなんとか思わずに、現状の狭いココロの中に余裕を無理くり作るべきなのかもしれないなぁ(嗚呼どうやって…)。

2013/12/28

好き嫌いとバターになってしまう言葉たち

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久しぶりに深夜に各国音楽動画をフラフラした。実はいつも、相当な数の気になる音楽動画に暫定チェックは入れてるものの、多忙すぎると全く観る暇がなくなる。

膨大な暫定チェックリストは溜め込み続けててもキリも意味もない。タイミング問題で観れなかった=ご縁がなかったもの、と、思い、暫定は暫定で、1週間で闇に葬ることにしてる。

面白いもので、縁があるものは何度でも目の前に現われてくるのだ。そう思ってる。

そんなこんなで今日は久しぶりにいくらかの動画を眺めた。相当数のイマドキのよきパキスタンポップスにも出会えたし、満足。

で、今はというと、ボリのプレイバックシンガー Rekha Bhardwaj さんの MTV (India) Unplugged を背後で流してます。

現地ではあとひと月未満で公開なのかな、 Dedh Ishqiya の Hamari Atariya でマードゥリ姐のダンスにぽわわ~んとしつつ、Rekha さんの、ややもの悲しげな頼りなげな、マイナー気味……なのに、どこか芯の強さも持ち合わせてる感じの、この矛盾だらけのアンニュイボイスに惹かれてしまった次第。

んまぁ! Unplugged は Embed できない設定なのね!じゃあしょうがない。 Hamari Atariya 貼っとこう。

貼りたかったのはこっち(↓)なんだけどね。

やぁ、Unplugged のこの曲、しっかり知ってるし、とても好きな曲。ていうか、メロディに至る前の Allah hu, Allah ははじめて聴いたかも。……というワケで、やっと歌い手さんも個別認識フェーズかなw

ダメなんですよおいら、そのスジの方々ならみんな知ってて然るべき大御所含め、大抵の方々、ずーーーっと名前すら認識せずに聞き続けてたりするので。基本はとことんヒトとか背景に興味ないみたいです。成果物至上主義w

Wikipedia 見ると、なんとなく sufi っぽい曲が多い感じがしますね。気のせいかな。ただ、 sufi 萌えが故にソッチ系にばかり目がいってるだけかもw

なんだろう、今 Tere Ishq Mein 3周目ですが、決して巧者な歌い手って感じはしないのですけどね。で、おいら個人的には松任谷何某さんのように、いくら素敵な歌詞と楽曲を作れても、歌が得手でない人の歌う歌って好まないタイプなのですが。この方の歌は結構惹かれる。ちょっと不思議。

でもまぁ、早速前言を撤回するワケじゃないですが、得手か不得手か、なんて評価よりも、純粋に好き嫌いなのかもなぁ。色々な事柄に後付けで色々な理由をつけたりするけど、正誤でも良悪でもなく、実際のところ、この世はすべからく好き嫌いなんだと思ったりしはじめてるのですよね、この数年。

あぁ、またなんか面倒くさそうな思考に向ってますね。はいはい、もう眠いんだからやめときなさい。

なんだか、ささやかでどうでもいい5行くらいの記事を書く日があってもいいな、って思ってるのに、気づくとダラダラ書き続けてる。書くのやっぱり好きなのかしら。それほどでもないと思ってるんだけどな。

1日1記事感覚が強いからそうなっちゃうのかな。しかし、思いついた都度「記事」書こう、にはなかなか至らない。その辺はなんというか、結構140字で事足りちゃってるのかも。

というよりも、そこにも至れずに、脳内で言葉や思考がグルグル回った挙げ句に、バターになる、もしくは霧散してしまう、なんてコトが、少なくとも、今日のランチタイムだけでも数回あった。ああいう時の思考たちを、全部捕まえきって書きつけられたなら、どれだけ膨大な言葉になるんだろう。

書いてから改めて、貼り付けた Hamari Atariya 観たけど、表情豊かなトコが強みであり美しいマードゥリ姐と、力なく熱の籠もらない感じのアンニュイなレーカさんの歌声は、実は相性悪いのかもしれない、とか思い始めた。

最初この動画観たときに、マードゥリ姐の表情芸がいつになく大人しいなぁ、とは思ってたんだよね。でも、歌に対してはこれでも表情作り過ぎてるくらいになっちゃっててバランスが取れない感じなのかも。……と考えると相性問題な気がしちゃう。双方共に好きなので、それはそれで残念なんだけどな。

レーカさんの歌声は陰だけど、マードゥリ姐はすごく陽なイメージだもんな。他にもこの二人の組み合わせな音楽シーンあるなら、どんな感じか観てみたいな。既に観たことあるのもあったりしそうだけど。

2013/12/27

東西南北と武蔵野線印度説(埼玉限定)

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ねもいしさらさらっと書いて終わらせよう。

普段、引きこもりを謳歌しながら仕事をしてますが、ここ最近は月に数回、都会に向います。なので、その機会を利用して美味いもの(主にカレー)を食べてみたりもするわけです。

八重洲界隈は地味~に南印度料理屋さんが多いらしい。本日は南印度料理屋ダクシンさんと迷った挙げ句に、エリックサウスに行って来ました。えにっきからの写真なので、両ブログで写真が被るわ。まぁいっかw

南印度…とか言いながら、食べたかったのは長い米のビリヤニ。ついでにソルティ・マサラ・ラッシーもあったので、スパイシーなヤツ飲んできました。ああおいしかった。

注文して待ってる間に、目の前の本棚にあった料理本たちを品定め。あれ、同じ八重洲の競合の店名、「ダクシン」がタイトルに入ってる本がある。

Dakshin
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中の写真もいちいち美味そう&美しい。

……で、「ダクシン」て何を指す言葉?

……という疑問をついったでつぶやいてたら、この本持ってる方が数名いらっしゃいました。やぁ、おいらは作る情熱はあまり持ち合わせてないのだけれど、余裕が出来たら欲しいわ、この本、おいらも。

さてさて、件の、ダクシン、サンスクリットで「南」という意味なのだそうです。まんまやないかw

そう、今更説明も不要であろうが、おいらは中途半端~に南亜細亜な文化(というか、主に音楽)にズブズブ触れる日々で、一向に学習しないまま、南亜細亜の諸言語にも触れまくる日々を過ごしてる。

しかも、知り出すと深度を増すジャンルの細分化現象が故に、南亜細亜と言っても、南印度だ北印度だ、パンジャブだバングラだ英国印僑だ、と、地域ごとに分別された話題が当たり前になって久しい。

なのに、考えてみたら、あちらの言葉で方角を表す語というものに、今日の今日まで触れたことがなかった、という事実に我ながらちょっとびっくり。

面白いもので、南亜細亜に限らずですが、各国の音楽を流行歌ベースで聴いてると、いずこの土地でも早い段階で覚えるフレーズは色恋に関する言葉。愛であったり恋人であったりキスであったり。

アラブの豊かめ・ユルめイスラム圏でも、知らない人が驚く程度には開放的なので、恋歌は多いし、パキスタンのようなストリクトめなイスラム圏でも、歌詞中に愛のフレーズは満載なのですよね。男女間の愛……ではなしに、アッラーと自分との間の愛として、男女間の愛並みに……いやもう、それ以上に熱の籠もった恋歌のような歌が多いのです。

でも方角なんて、歌詞の中にはそういえば出てこない。出現率はそりゃ、低そうだよねw

ついったで更に教えてもらったのは、「西」はパスチム、「北」はウッタル。ウッタル・プラデーシュ州は要するに北プラデーシュ。

…ちょっと待て、プラデーシュといえば、アーンドラ・プラデーシュ州もあるじゃないか。ここで俄然、おいらの中では「プラデーシュ=川口、または浦和説」が浮上してしまいますたw 北プラデーシュに中プラデーシュ、南プラデーシュも東プラデーシュも作るがいいさ!

方角について教えてくれたゴアさんが「東」は失念されたというので、せっかくなので調べておこう。

回答1と回答3で西と東の表記が微妙にズレてますね。ちょっとググる翻訳先生のヒンディと共に比較表作っとこう。なんだなんだもう、さらっと書いて寝る気だったのにw

回答1 回答3 Google (devanagari) Google (alphabet)
Purab poorab पूर्व Pūrva
西 Pachim pashim पश्चिम Paścima
Dakshin dakshin दक्षिण Dakṣiṇa
Uttar uttar उत्तर Uttara

ググる翻訳の発音としてのアルファベット表記を見ると、益々以て表記の揺れが激しくなってしまった気がしないでもないけど、まぁ、デーヴァナーガリが一番正解だろ。読めない=発音出来ないけどねw

…などと、纏めながらも、引き続きついったでおしゃべりしていたところ、プラデーシュには、マディヤ(中央)・プラデーシュ州もあるとのコト、中浦和キタ!プラデーシュを離れると、ナヴィ(新)・ムンバイなる地名もあるらしい。…これは…新…三郷…?

というコトで、今後は、武蔵野線をIndian Railwaysと呼ぶことにしようと思いました。埼玉エリア限定で。

馬鹿ばっかり書いてますが、無理矢理話を大分前に戻すと、今日行ったエリックサウス、地方から出張に見えたらしき、大して印度料理に興味も知識もなさそうなおじさま集団が、店員さんに料理についてあれこれ質問しながら食べてたのですよね。

たまに親父ギャグも飛ばしてましたが、店員さんもとても切り返しが上手くて、感じがよくて、おじさま達も食事と質問をすごく楽しんでる感じでした。

少し若手の一人は「久しぶりに美味しいって思える変った料理食べた!楽しかった!」って言ってたし、他所様のお店ではあるものの、自分の好きな系の料理屋さんで、そういう印象を持ってニコニコと席を立ってく人を垣間見るのはちょっとよいですね。

2013/12/26

so called むかで状態

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唐突に貼ってますけど、まだ1/5くらい聴いた程度です。深夜のBhangra Mix。今のところ悪くない。ついでにTrack Listもあるので、気になったら後でチェック出来るのもよいですね。

今日は地味に(主に後半)びっくりインプットが続いたので、何となく書くべき言葉を持ち合わせてません。いや、そんな大袈裟なハナシではないのだけれど。最近どうも簡単に飽和状態になってしまう。

というか、簡単にバンザイするようになっただけかもしれない。若いウチからずっと、精神論だけで無駄に頑張っちゃうタイプでしたけど、これくらい簡単にバンザイするくらいが普通なんだと思います。

あー、テーマらしいテーマを持たずにつらつら書くなら、さっき風呂入りながら眺めてた記事でもピックアップしておくか。

あんまりこういうハウツーものとか好かないんだけど、ここ最近文章については色々考え込んでるもんで(…が故に何故か日々ブログなるものまで書きはじめてるワケですがw)、ちょっと読んでみたところ、個人的にはなるほどすぎて辛かったw

No.15以外はダメなんじゃないかしら。No.15もダメかすら。多分No.15については、今日たまたまこのブログの話題になって、文章だけで友人においら特定を受けたところなので、良文か悪文かはさておき、自分の言葉であることは出来てるのではないかと思います。

やだ、Bhangra Mix、丁度ほぼ真ん中あたりですが、これはよい。前半は大分抑え気味でしたね。いやいや、盛り上がってきた。深夜なのに。

ていうか、17項目もあると気が遠くなりますね。これは困った。しかも大半が非常に耳が痛い。

恐らく全部をいきなり目指してもロクなことにはならないだろう。さて、どうしたものか。意識しながら書こうとするときっと何も書けなくなる。最初は「テキストを整えよう」の辺りだけを気にしぃしぃ書いてみればいいのかな。いや、推敲チェックポイントなんだから、そもそも書く時点で考えなくてもいいんでは…?

はー、にほんごむずかしい!

時折そんな、「むかで状態」に陥る。今みたいに。

無意識の営みを、ヘンに意識してしまうコトによって、容易に無意識に出来る筈のコトが出来なくなってしまうコトをむかで状態と呼んでいる。

何故そんな呼び方をするようになったかというと、子供~中二病っぽいオトナになるまでずっと愛読してた、三原順の「はみだしっこ」シリーズの中に、何かのきっかけで、それぞれの足について意識をしはじめてしまった途端に、上手く歩けなくなってしまったむかでについてのたとえ話があったのだ。多分はみだしっこシリーズ。

よくない。よくないね。そう、書いてる時はいいんだよ。書いた後で推敲しなさい!

(…と言いつつ、推敲無しでそーれ、Publish!)

2013/12/25

旧友と戯れる(予定)

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いやぁ、暑いですね。どうしてこう、丁度よい温度を保てる空調ってないんでしょうかね。

ストーブつけてると暑いし、消したら震えるし、スコットランドにしろ北海道にしろ、意外に北国の方が室内温度はマイルドに丁度いい常夏キープしてる気がするのですが、何が違うんだろう。建物? だったら北国限定にしてないで、関東にもその建物構造を持ってくればいいのに。

というか、外気の寒さの質も、関東とは違うのですよね。「なワケはない」と道産子の配偶者には言われるのですが、関東のからっ風の方がどうも、決定力不足な分、攻撃的な嫌な寒さな気がします。しんしん底冷え。

北国の方が時として命に関わるレベルで洒落にならないのは勿論なので、実際は、室内でしっかり温まってるが故に、ものの数分外気に触れなければいけない程度の時であれば、負けないわよ、みたいな強気でいられるだけかもしれません。

さて、今頃は全世界的にサンタが空を駆け巡ってる頃合いですが、今年は恐らく、生涯で最もクリスマス感の薄い夜を、 Coupé-Décalé と共に過ごしてるようです。

面白いもんですね。結婚しようが何しようが、最大級の便乗イベントとして、ケーキ買ってみたりで多少なりとも利用するコトが多かったのに、今年は唯一敢行した便乗イベントがカレー屋。まぁ、子供がいたらこの日は大分違った一日になるんでしょうね。

この辺りの写真撮ってたのって、かれこれもう5年くらい前なのだな。びっくり。

昔からおいらはどうも、「技巧はないけど何か惹かれる」と評されるコトが多い。作図も絵も写真も。文章もそうなのかもしれない。究極の中途尾半端であり、且つ、何をしても永遠の素人なのかもしれない。

昔はそう言われるのがあまり好きじゃなかった。若い頃は、自分に自信が持てなくてガラスのハートなのに、内心プライドは高いという面倒くさいタイプだったので、はじめてそういう意味合いのコトを言われた時は、褒めどころがなさすぎてそんな言い方されたんだと思ってたいそう傷ついた。でも、どうやら素でそう言われてるらしい。

今はそんな風に言われても嫌ではないかな。ヘンな個性だけど、まぁ、それはそれで希有な個性なんだと思う。「何か惹かれ」てくれるなら言うことないじゃない。プライドなくなると色々拓けるね。楽しい。

ちょっと思うところあって、この写真撮った頃、文字通り、常に左手に握りしめてた GRD-II を引っ張り出して、また振り回してみようかな、と思ってます。おそらくはせいぜい数日。

〓〓〓〓〓、〓〓〓〓〓、〓〓〓〓〓〓〓。〓〓、〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓。〓〓〓〓〓〓、〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓。〓〓〓〓〓〓〓、〓〓、〓、〓〓〓〓。〓〓〓〓〓……。〓〓〓〓〓〓〓〓〓?〓〓〓〓〓〓、〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓。

おっと、モニョモニョと数行書いたモノは削除してしまった。過去の感傷的なハナシを感傷的にしたって、きっと増えるのは皺だけだわ。

2013/12/24

ジャパニとヒンドスタニと3D宇宙ヤバイ

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昨日は訳あって書かなかったけど一週間坊主なタイミングだったので今日書くに至れるか気になってた。まぁ、書けない日があってもうにゃうにゃ考えない方がよいですね。いやホント、何のために書き続けはじめてるんだか自分でもよくわかってないのですが。

今日はゼロ・グラビティ観に行ってきました。いやー、宇宙ヤバイ。3Dは吹き替え版しかないと知って悩ましい感じはしたけど、3Dにて。アレは言語より映像優先で3Dでよしでしたね。期待に応えるヤバさで満足しました。

3D全開、且つ、3Dならではな映画は、映画というエンタメとは若干別ジャンルとしてもよい気はしちゃいますね。

なんというか、個人的には懐かしのキャプテンEOのような、アトラクションみたいなイメージ。椅子は動かないけど。擬似的とはいえ、ディメンションが増えるってのは文字通り別次元というコトなのだな、という感じ。

音響効果にしても、映像にしても、大なり小なり態とらしい感じは否めないのですが、ま、そんな過剰演出で丁度いいのかもね、と思いました。しかし、あれを2D版で観たらどう感じるのかな。比較してみたい気もしなくはない(けど映画に対するマニア心の優先度は低めなので、恐らくしない)。

ストーリーとかその辺はよしとして、とにかく宇宙ヤバイを疑似体験するにはうってつけでした。なんかもう途中「ああーもういいやーめーてー!」とか手に汗握りつつ思いながら楽しんでました。あと、やり慣れないアクションゲームやるときみたいに、映像に合わせて体傾いちゃう的な、ちょっと久しぶりの感覚w

あと、オマケで発見しちゃったのが、物語冒頭の限りある平穏なシーンで、主役二人と共に宇宙空間にいたハーバード卒のスチャラカ乗組員仲間のシャリフさんが歌ってた鼻歌にあれれ、とひっかかった。

シャリフさんの登場シーンは限られてるし大役なワケでもないので、それ以上のバックグラウンドの説明はないままに、名前からぼんやりアラブ系な役柄、みたいな印象で認識してたのですが、その鼻歌聞き覚えがあるよ?あれれ?なんだっけその曲?ボリ?ボリじゃない?なんだっけなんだっけ聞いたことある!てことは南亜細亜系?……と。

あ、でも今思い返すと、やっぱりシャリフさんはきちんと印度系という役柄だったってコトなのかなー、印度系である必然性はあの時点ではあまり感じられないままだったけど、考えてみたら他にも印度がささやか~に見え隠れする映画だったな。

でもその瞬間のみで、後はずっとひたすら宇宙ヤバイを堪能してたのですが、終わってエンドロールをぼんやり眺めつつ「あー、やっぱりこういう映画だと技術系のスタッフもりもりおるんだねぇー」とか思ってるうちに挿入曲リストに。

そこも漫然と眺めてたつもりが、ローマ字の並びが英語っぽくない曲名が目に飛び込んできた。あっ、これがあれ!そうそう、それがこれ!

なんでこの曲が鼻歌として選ばれたかが英語記事にもありました。

Raj Kapoor's song Mera joota hai Japani was perfect for Gravity: Phaldut Sharma - Entertainment - DNA

おいらの靴は日本製

おいらの帽子はロシア製

だけどおいらの心は印度製

みたいな下界の国家がチャンポンになった歌詞を、遙かなる宇宙空間から地球を見下ろしつつ歌う、みたいな図がよかったのでしょうかね。

確か90年代初頭のワタシが好きだったパキスタンのポップロックにも「アメリカ娘よりジャパニ娘より(パキスタン娘の)キミが好きさ」的な歌詞がありました。南亜細亜の愛国のダシに度々使われるジャパニ…w

しかし、この数年、実は滅多に出歩かない引きこもりな割に、中途半端にスクリーンのある場に出向く比率は高いのですよ。(まぁ、比率は高くても絶対数は少ないですが。)

がしかし、大半が謎の印度映画(字幕なし)が故、一般的なメジャー系映画のために出向くのは数年ぶりでした。たまにはよいですね!

2013/12/22

分裂と融合

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おっと今宵ももうこんな時間。

今日は文字通り、なにも思考してないし、なにもしてない。起きて、ぼんやりして、とろとろと眠くなってはうつらうつらして、また起きて、ぼんやりする。そんなループで今に至る。あ、少しだけ散歩には出た。

たまにこんな風に、何にも役に立たないイキモノみたいになる。たまにはいっか。……それがたまにかどうかはさておきw

ダメな感じといえばほら、今だって、もう長い時間耳にイヤホンを突っ込んだまま何も聴かずにいる。よくやる。最近多い気がする。おかしいな。昼からずっとiTunesは起動させっぱなしの筈なのに、今日は今はじめて音楽を流しはじめた。

久しぶりに南亜細亜~西亜細亜の有象無象プレイリスト。知識も手持ちの音源も少ないウチはドンブリ広域な地域ベースで賄えていたものの、今となっては細分化が必要だ。

たった今は南亜細亜といっても移民のイギリス印僑のワカモノRDBによるイマドキBhangraだ。そろそろ曲が切り替わる。次は何だろう。Lata Mangeshkarによる80年代古Bollywoodだ。やはりドンブリすぎる。

面白いもので、どこの音楽もどんな音楽ジャンルも大体、無闇に聴き倒してると、その中での違いがだんだん見えてくる。実際の所は音楽に限らず大体何でもそんな感じだとは思う。国とか民族なんかもその最たるモノかもしれない。

他地域の人種からしたら、東亜細亜人はみんな黄色い肌でアーモンド型の瞳をした、どちらかというとあまり優れてるとは言えない肉体と、それを補うかのような頭脳を持つ東亜細亜人だ。けど、乱暴に同じカテゴリーの中にいるとされている民族の多くは、個々の民族同士で目くそ鼻くそな差別化を互いにし続けている。まぁ、これは東亜細亜に限ったハナシではないが。

おいら自身、南亜細亜での地域別の文化比較は大好きなので、地域による違いを知るのは嫌いじゃない……というか、寧ろ大好きな方だ。でも、昨今は差別化の目的が、自分と近しい種の中でのささやかな違いに優劣をつけたがるのだけの人が多くいるらしいのは、見ていて正直、馬鹿じゃないかと思う。

現代の国括り・民族括りなんて、短くはない人類全体の歴史の一時的な点でしかない。これまでだって、侵略や交易や戦争や様々な原因で、各種の文化や血液やDNAや智恵は混ざり合ってるし、これからだってそうだろう。

ここ最近の数世紀だけ取り上げて、どっちが優れてるの劣ってるの、純血も混血もあったもんじゃない。その事実を認めたからと言って、その「一時的な点」の中で一括りにされているそれぞれの民族が誰かに穢されるワケでもない。

あれあれ、また話題がおかしな方向に向ってる。どうしておいらはこうなんだろう。ややこしいコト語りたがりなんだろうな。自分のそんな面は、そんなに好んではいないのだけど。

そしてiTunesはパキスタンの90年初頭のポップスを流したあと、印度のガザルを奏でている。どれも好きな曲ではあるし、どれも南亜細亜ではあるが大分座りが悪い。

日本に置きかえてデフォルメして表現するならば、どれも日本の曲だからって、デリコの後にジブリのサントラ聴いて、サブちゃんから雅楽に流れる、なんて選曲はしないよね。

そんなこんなで、分類って、しはじめていくと、どんなジャンルでも際限なく細分化されてくもんなんだなぁ、という理解に至ってる。

しかも、最近になって、その細分化はどうやら、枝分かれを繰り返すだけで終わるものではなく、枝分かれした末端が、まったく別の末端と新たに融合して、更なるジャンルを生み出すコトもあるのだというコトを学びました。アフリカの音楽で。

アフリカと中南米の繋がりってとても不思議で、未だに把握し切れてないけど、中米からアフリカに至った音楽がアフリカのとある地域で独自に進化・定着して、それが各地でちょっとずつ違う変化をしていった挙げ句に融合してたり、中米に戻っていったり、フランスに向ったり、双方向すぎて追いかけきれる気がしません。

あぁ、もしかして、知るというコトは、その分裂と融合を追い続けていくというコトなのかもしれない。

なんだなんだ、今更アタマが起き出したのか、予想以上にダラダラ書いてしまった。

もっと短時間で書く習慣をつけたい。ダラダラ書くのは誰だって出来る。時間さえあれば。それじゃあいつまで経っても、時間のある時しか書けなくなってしまう。それが嫌なのだ。


さてさて、来週は忙しいのかそうでもないのか、よく読めない。週明け。更に連休明け。連休明けの週明けは個人的にはかなり忙しい。そして恐らく会社は各所とも仕事納めに向う週。月末までの色々は繰り上がり、月初までの色々は期日は変らず作業日程のみ繰り下がって圧縮進行になる。それに向けての準備もしておかなくちゃいけなかろう。脳みそがついて行かなそうな予感。

2013/12/21

文字収集

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まだ判断を下すには尚早な気はするけど、なんとなく今回はココでこのまま書き続けていけそうな予感がある。「書き続けていけそう」ってなんだよって感じですよね。そもそも誰も強制してないのに。

なんだろう、非公開のブログとかも持ってて、そっちにもどうでもいいアーカイブは溜まってったりするんだけど、公開状態っていう一定の緊張感ありきで、やや頻繁な程度に定期的に書く方が脳がダレすぎないでいい気がしたのだよね。

つい先日、どこかのブロガーさんが、「自分がブログを書く目的」みたいな記事を書いていて、内容自体はふむふむ、って読めたのだけど、大前提になってる「僕のブログはあくまで私的な日記」というスタンスがちょっとよくわからなかった。だったら公開する必要ないんじゃないの、と。

こういうコトなのかもなー。ココもあくまで私的な散文と思ってる。けど上述のとおりで、公開状態がよいのだ。

しつこいようだが、飽きっぽい上に、ここのところは、どうもまとまった余暇感が薄いので、いつまで続くか定かではないけど、これを機会に、これまでに自分の書いた文字は、ここにまとめておこうかな、と思う。

他に書いてる所なんてたかがしれてるものの、そう、アッチの、某メールマガジンにかれこれ2年と少し書き続けた駄文の元原稿も持ってこようと思った次第だ。

メルマガの方は、掲載前に軽めな編集・校正が入ってる。主な編集は、これでもかという程の冗長さが特徴とも言えるワタシの文章に、楔のように句読点が追加されているようだ。が、時折、それ以上に「むむむ」という微妙な、でも、おいらと編集者以外の人々にとってはどうでもいいような軽微な修正が入ってたりもしている。

勿論、軽微と思われないものの場合は、編集長からきちんと確認が来る(けど、ギリギリ入稿でそのまま音信不通というていたらくなコトもままある。ごめんなさいごめんなさい)。それ未満の軽微なお任せ編集の結果は、「ああ、どうも」な時と「むむむ」な時とで、大体半々な感じ。

ここでは、「ああ、どうも」のメリットも失ってしまうコトにはなるが、自分のRAW原稿を載せていこうと思ってる。もうちょっと整理できたらボチボチと。

既に、過去の掲載記事を一通り浚ってみた。コッチに掲載するにあたって、当初は、多少今読んでも恥ずかしくなさそうなものだけよりぬきで掲載しよう、とかヤラしいコトを思ってたのだ。

というのも、毎回「あぁ、起承転結もままならない冗長で青臭い文章を書いてしまった」と思うばかりで、入稿時点で多少なりとも気に入ってる文章なんて実は殆どないのだ。

でも、喉元過ぎればなんとやらなのか、継続はなんとやらなのか、気づけば既に41記事もあって、ざーっとタイトル眺めた限りでは、拙いながらに若干の時代性とかナントカも重なっては来てる。なので、まぁ、これはこれでよりぬいたりしないでそっくり持って来ちゃえばいいんじゃないのかな(めんどくさいし)、という心持ちに至った。

2つくらいは「今となっては」すぎるバージョンになってしまった技術系(しかも記憶だと、当時既に、説明不充分感があった)の記事もあるが、技術的・専門的な実務っぽい記事はそれくらいしかないので、それらだけは今更の転記が必要か否かよくわからない。割愛するかもしれない。

面白いな、技術系の記事ってモノによってはこうやってすぐに古くなっちゃうんですね。バージョンもどんどん変るし、使われるツールもどんどん変るし。

そんなこんなで、意外に記事数が多いので、深夜にコツコツ時限式にうpしてくかな。Blogger、予約投稿あるし。それとも過去日付でうpしたらFeedはどうなるんだろう。別に新掲載ではあっても新規記事というワケじゃないのでFeedに流れなくていいんだよね。

さて、今日も真面目につらつら書いてて流れてきたお気に入りSoukous、動画見に行ったらもう、真顔腰蓑男子にかなりヤラれたので、こちらも共有しておきます。クルレックルレックルレックルレックルレックルレックルレックルレ~

2013/12/20

正の字に隠れた怒り

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あれ、ホントだ。Flickrのembedの仕様が変ってる。


タイトルだけ先に書いたところで、今日は昼の来客時を除いてBGMがずっと、ここ暫くハマってるコンゴのSoukousとコートジボワールのCoupé Décalé祭りで、あまりにも陽気ですちゃらかだったコトに気づいて、あまりの落差に我ながら苦笑してみたり……と言ってるそばからもうね、ホントにすちゃらか陽気な音楽がつってけつってけヘッドホンから鳴り響いてるわけですよ。

興味のある方は少ない気はするし、興味がある人はとっくの昔にワタシのついったに散々流れる各種YouTubeあたりをクリックしてるでしょうからあまり意味はなさそうですが、この主題とBGMの矛盾も共に味わいたい方用に音源貼っときますね。

ここ最近、よく考えるんですよね、怒りについて。とはいえ、今回だけでまとまるようなテーマじゃあないだろうな。

なんとなく昨今、以前よりも正論だったり正義だったり、正の字のついた憤りをよく目にするようになった気がする。

なんて言うおいら自身も、どっちかってと数年前までは正の字系の理不尽や怒りに眉間に皺寄せちゃった挙げ句に、使いこなせない難しい言葉や思考に振り回されたりしてたクチのような気もする。

でもいつからだろう。おそらくは311より後からだと思うんだけど、いつからなのかがさっぱりわからないので、開始当初は無意識に、その後、意識的に……というよりも、多少の自覚を持って、極力、正の字系の怒りをExpressすることは抑えはじめたように思う。

おいら自身という器の中身はそうそう変化しない。元々青臭~く、正の字系の憤りとかは感じちゃったり、問題意識を持っちゃったりする質ではある。なので、今でも腹の中ではそんな思いはちょこちょこ湧き上がったりするのだが、感じても脊髄反射でパン、と出してたところを、一旦呑み込んだりしてるのかな。

自分のコトなのに「~のかな」とか、煮え切らない感がひどいけど、まさに「意識的にやってるというよりは、多少の自覚を持って」という感じなのだから、断定しきれる感じもない。しょうがない。

そういった、一見正しくて善いことっぽい筈の物事に違和感を感じる機会が、どうもちょっとずつ増えて来てて、これは一体何だろう、って思ってた。

なんだろう、過去の自分と同様に「正の字」系で憤ってる人たちの目が、どことなく必要以上にギラギラしてるコトが多い気がしはじめたのですよね。ちょっと怖すぎるの。

自分も同じ穴の狢だったのかもしれないけど、常に鏡に向ってシャドウイングをしながら世間を見ていたワケでもないので、正直、自分のコトは棚に上げておきましょうw

言ってるコトは、そう、正しいよね、アレは不正義で、こうあるべきだよね、でもなんだか、あなたの、その、過度な怒りに溢れた発言は、本当に、真に、それについて正したいから言ってる…の?眉間に皺を寄せている真意は何?憤ってる真の動機は何?

そういう人に限って、誰かが何かについて、些細な不快を表すと、賛同を求めてたワケでなくても、さーっと寄ってきて一緒に怒ってくれる。過度に。戸惑う。

自身の日々の不満を、他者の些細な不愉快に余すところなく投影して、そのちっぽけだった筈の他人のネガティブすら肥大化させてゆく。あ、これか、時事とか政治とか社会とか、そういうお題で憤ってる人たちの大半がやってることは。

憤ってる人の全員が、自分の怒り投影して負の増幅をさせている、とは、勿論言えない。

けど、多分だけど、何かに問題意識を持ってて、本当にソレを変えたいと思ってる人って、言葉じゃなくて行動してると思うんだ。大きな行動じゃなかったとしても、個々人の出来る範囲で。黙って、ね。

そんな風に、最近になって、ああこれらは全部、そういった正の字を隠れ蓑にした、個々人の怒りの投影なのかもしれないなぁ、と解釈しはじめて、諸々が腑に落ちつつある。

一見、正しくて善いことっぽく見えるので、憚る必要なく大手を振って表すコトも出来るんだけど、それでもやっぱり、違和感は滲み出てしまうものなんだと思う。

最近増えた気のする、この独特な正の字の怒りについては結構頭の中であれこれと考えてきてたつもりだけど、怒りの原動力についてまでは考えたことがなかったのだが、今ふと、悲しみなんじゃないかと思った。

なんとなくだけど、上手に自分の悲しみと向き合えない人が、悲しみを怒りに転化して、更にはそれを正の字の怒りとして昇華させようとしてるのかもな。でもそれって、昇華、にはならないので、いつまで経ってもフリダシの悲しみは癒えないし、澱になって溜まってくんだ。


なんかいつも書きたい感じのこととは裏腹に、暗っぽくてネガティブなテーマについて書いてるな。おいらがネクラなので仕方がないといえば仕方がないのだけど。

無意識が書きたがってるだけ書いたら、もうちょっと別の明るいベクトルの何かも出てくるのかな。

というか、1回に書くのに使う時間が長すぎる。バカなの。

2013/12/18

インタネットの言霊の所在とか

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言霊といえば、数年前、某SNSで仲良くしていた親日アルジェリア人の開発者さんが、自身の作ったサービス名に和名を付けたい、というコトで一緒にピックアップした単語が「言霊」だった。彼がちゃちゃっと作るウェブサービスは、そのSNS内では皆が重宝して使うものが多かったが、コトダマは非公開運用してる間に本人がSNS疲れしてしまい、日の目は見なかった。


夏? それとも夏前から? いずれにせよ、炎上系でオンラインから飛んでいった火の粉がオフラインに向って、そのまま火柱になる様はそこここでよく目にするようになった。

インタネットの声ってヤツも昔と比べると大分力を持ち始めてる気はする。

気はする……んだけど、どうなんだろう、実際は。年々声は大きくなってる。それは確かだろう。

例えば、選挙の際のネットの喧々諤々も以前より活発だ……けど、それを鵜呑みに選挙速報に至るとあれれ、ってなる。

最近地味に追いかけてるミス何某のアレも象徴的で、ちょっとした闇を引きずる大人の事情で取り上げられないナニカについては、旧来の日本のマスメディアでは、ネット民がいくら声を上げたからと言って、光があたる事はそうそうない。

あの件は今後、異国のマスメディアや世論という外圧ありきでどういう展開になるか、ならないか、ちょっと着目してる。ならないんじゃないかな、なんて思ってるけど。

ココは、っていう場面では、インタネットの声になんて、やっぱりそこまでの力なんてなくて、どれだけ集まっても大衆――しかもインタネットの――なんて、烏合の衆でしかないのかもしれないな、なんて、あら、書きはじめてみたら、書く前より更に悲観的且つ否定的な表現に至ってしまって我ながら驚いた。

確かに以前に比べたら、インタネットで更に多様な人に出くわすようになってきた。オフラインでは出会うことのなかった、ニッチな趣味が多少かぶる人たちとも出くわす。そこが楽しくもあった。

とはいえ、何から何までぴったりくる人なんてのはやはり皆無なわけで、となると要するに、自分と若干近い人たちとはすれ違うようになりつつも、これまで以上の多様化・細分化の可視化が更に進んでしまって、もうどうしようもない、飽和状態。まとまるどころではない。お手上げな感じは否めない。

TLとか眺めてると、ぴったり趣味の会う人に出会えてすごく喜んでる人も散見されてて、時にはそんな人たちが羨ましくも思ったりはするんだけどな。おいらの場合は多分、ニッチさが問題ではなく、広すぎて浅すぎるのが問題なのだろう。まぁ、そこは仕方が無い。

そんなこんなで、そう、インタネットで出会えた物や価値観の中でだったらおいら自身がナニカの力になり得ているか、というと、答えはノーなのだよな、結局の所。そういうコト。

インタネットで出くわした個々人とは継続的によい関係を生み出せてるコトも多い気はするけど、相手が複数になった途端、無になってるコトは多いかもな、おいらの場合。あああそうか、うっかりぼんやり集合体について語ってみたものの、そもそもおいらは個人的なタイプなんだわ、社会との関わり方自体が。

はい、話し終わったw

終わった気がしながらも漫然とダラダラ続けようw

理論上は、当初からオンラインばかりを嗜好して、ネットに安住していた古参ネット民のパイなんて今更拡大はしない筈で、オフラインも謳歌している、所謂リア充なユーザーの参入によってネット人口は増え続けている筈だと思うのだが、不思議なことに、いつまで経ってもオンラインとオフラインががっぷり四つに出くわすコトは今ひとつ少ないままな気がしてる。

これは何故なんだろう。不自然なまでに黙して語らぬまま棲み分けが為されてるのか。それとも、ひとつ所に存在しながらも、互いの存在に気づかないほど、言葉通り「次元」が異なってしまってるのだろうか。いずれにしても、既に出くわさない方がおかしいフェーズだと思うのだが。

所謂バイトテロは異次元接近遭遇による摩擦熱で発生してる、と思えばいいのかな。出くわすとしたら、今のところはそんな形でしか出くわせないのか。

さて、話し戻って、ネットの声が以前よりも世間に聞こえるレベルにはなってきた。オフラインでこれまで主流だったものとは、多少違った側面の意見が出るようにはなった、かもしれないね。

でも、ネットの声が主流にはなり得ないし、それがオフラインに強く作用する、なんていうのは、現時点ではまだ、幻想でしかないんだろうな、と。勿論ゼロだった頃とは何かが違うのかもしれないので、否定はしないけど。

ネットの言霊は自由なようであって、案外不自由なのかもしれない。その分、その言霊の及ぶ範囲には、これまた不自然なまでに強い力をつけているようにも思う。

自分の頭上を飛び交う言霊たちも、やたらと狭い空間をぐるぐると飛び交い、支配しようとしてるかもしれないが、それだけがこの世の全てだとは思わないように気をつけないと。な。

シロかクロか

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Markdown Editorの快適な管理を考えてうろちょろしていたら、結局、ST2+Markdown Preview Pluginというベタな所に落ち着いてしまいましたわ。StackEditもそのまんまBloggerに持ってけるし、ラクだったんだけど、書いたテキストファイルをテキストファイルで持っておきたかったので。

ていうか、あれ、Live Reloadが今ひとつ勝手にReloadしてくれてる感じが薄いな。むむむ。まいっかw

今日は夕方っからいい具合に酔っ払ってる配偶者に、「あんたはナニカに対してのいい悪い、とか、好き嫌い、とか、やるやらない、とか、その辺、白黒ハッキリしてるよなぁ、なんなのそれ。人ってそんなにハッキリしてるもんじゃないんじゃないの?」みたいなコトを突っ込まれた。

あまりそういう意識はなかったし、ワタシ自身はそれなりに悩み多き日々を毎日過ごしてるつもりだったので「は?」となった。

どうだろう、そんなに「さてワタシの好悪の線引きは」みたいな意識で考えたことはないのでよくわからないが、何でもかんでも決めつけてるワケではない。強いて言えば、好悪の悪――絶対やらない・やりたくない・好ましくないと思ってるコト――っていうのは、一言では言えないものの、意外に明確になってる気はする。好の方はどうかな。極端に好むいくつか以外は好に含めているワケではない。ただの許容範囲なんだと思う。

まぁでも、ドンブリな基準があるかないかで結構日々の営みについての判断がラクになるんじゃないかな。少なくともワタシ自身はそっちの方がラク(だからそんなオレ指針が明確になってるんだと思う)。

先日会った知人の娘ちゃん(4歳)が、ワタシと出くわした場所の近くを訪れると「今日はちゃいろさんいるかなー」とか言ってるらしい。どうも一定の女児には妙に好かれる気がしてる。子供はかわいいね。慕ってくれる子は勿論、特にかわいいw

2013/12/17

ここちよいタイミング

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なんかあともうちょっとMarkdownエディタの運用がしっくりこないまま。

面白いもので、普段ほとんど人とのまともなコミュニケーションなどないまま暮らしてるのにも関わらず、時折あちこちから近況が舞い込んでくる。

互いに忙しかったりもあって、それに、不思議なことにやってることも暮らしてる世界も(概念的にも物理的にも)全く違うヒトが多いので、普段は、便りの無いのは元気な証拠とばかりに、音信不通。

……なんだけど、ひょっこりと、ね、連絡が来るんだよね。しかもそういう時は何故か、複数の知人・友人からやってくる。

自分も含め、ここ数年は実は結構激動で、いや、激動なんていうとちょっと大袈裟なんだけど、それでも自分自身がやっと落ち着きを見せ始めてる矢先。

いやもうおいらなんて、本来はとっくに落ち着いているべきお年頃なんだけどね。いやいや、落ち着いたとか言ってても、きっと一生落ち着いたりしないのかもしれない。おいらもみんなも。

でも、それでも近況報告してくれるあのコやこの人の話を聞いてると、みんなその時々で困ったり喜んだり悩んだり泣いたり怒ったりしながらも、着々と何かを重ねてってるなーって感じはする。経験も年輪も。

や、老いってニュアンスよりは成長って感じ。いくつになっても。

そういうのを感じられるので、この、忘れた頃にやってくる近況報告やりとりって好きなんだな。おいらにとってはとても丁度いいリズムでもある。

from a car window

つい先日、新しいタスク管理アプリを使おうと思ったら、諸事情でここ数年の過去タスクを全て手作業で削除しなくちゃいけないハメに陥った。

ひとつひとつポチポチ削除していきつつ、あぁ、この日にあのヒトに会ったんだ、あぁぁ、その日にその件の電話をしたんだ、と、色々と生々しく反芻した。生々しく、とはいえ、別に苦々しく、ではなく、かといって清々しくというワケでもなく、大変だった事実はまだまだついこないだだったんだなーという感慨を、意外に冷静に反芻した感じ。

さて、また引き続き、前向いてかないとな。振り返り続ける暇がないw とはいえ、たまにはちょっと立ち止まるのもいいかも。

2013/12/14

てす、てす。

ちょっと諸々のテスト。

塩漬けなブログを活かそうか否かのテスト投稿だけのつもりだったけど、BloggerをMarkdown経由で書ける用のChrome Extensionがあったので、ソレの実験方々。

Curtain, tatami

Markdown使うほどにも複雑なコンテンツは書かないんだけど、かといってBloggerのWysiwygで汚いソースになるのも嫌だし、かといって記事書くのにいちいちHTMLゴリゴリ書くのはもうなんか違うよな。