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2014/09/11

インドに行ったことがないとのことですが、実際にインドに行くとしたら、どの街に滞在してみたいとか、何か計画とかありますか? (ザ・インタビューズ転載)

見たいところも行きたい所も大杉で困っちゃいますね。

とにかく聖者廟うろうろしたい!
延々と古典音楽と舞踊を堪能したい!
あとは、とにかく街を歩きたい!金持ちの街も、そうでない街も、村も。

ここまでは優先度高ですね。

で、それ以外だったら、
各地でご当地印度映画も観てみたいし、ついでにCD山ほど買いたい!
それと有象無象しょっちゅう各地でやってるご当地お祭りも眺めたい!
史跡とかもまぁ、気にはなりますがそちらは余力があったらでよいです。あーでもムガル時代の何某は触れたいなぁ。

街単位で考えると、以前から北印度一辺倒でラジャスタン行きたいとかパンジャブ行きたいとか漫然と思ってるのですが、最近は南印度の魅力にも徐々にヤラれてるので困っちゃいます。あー、ベンガル地方もいいなぁ。他地域と趣を異にするというゴアも気になりますね。

パキスタンみたいに向こうで生まれ育った普通の人の普通の家とかにお邪魔出来たらとても楽しいんだろうけどなぁ。

ていうかパキスタン再訪したい…。

転載 from インドに行ったことがないとのことですが、実際にインドに行くとしたら、どの街に滞在してみたいとか、何か計画とかありますか? - browneyesインタビュー

パキスタンへ行かれたときに赤ん坊の育て方に驚いた、とありました。それについて詳しく教えてください。(ザ・インタビューズ転載)


地図は行った記憶のあるエリア
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パキスタンて言っても、多分大部分の都市部・町部はもうちょっと現代的な子育てしてるんじゃないかと思います。
都市部でそこそこまともに成功してる人の家庭にもお邪魔しましたが、そこの小学生は綺麗な洋服着て、全科目英語で授業な私立の学校に通ってたので当たり前の様に英語でおしゃべり出来ました。
…いや、あんなにパリっときれいな洋服着てる子は町でもそんなに見かけた記憶がないからあの家はかなりエリートだったのかしら…。

インド周辺を旅したときのことを教えてください。」でも触れたとおり、おいらがお世話になって日々の生活を暫く見てたのは、パキスタンの北方にあるペシャワールから東に60~70kmほど行ったとある田舎町でした。田舎度合いが国内でどの程度なのかは不明です。英語で意思疎通の出来る人はほぼいなかった気がします。

二ヶ月いてもその国の「標準」がどんなもんかなんて解らないもんですね。

ワタシがお世話になったその田舎町の赤ん坊は、座らせれば一人で座ってられるけどまだハイハイもおぼつかなくて離乳食もそろそろ…?くらいなのでどのくらいなんだろう、7ヶ月とかそのあたり…?あー、歯はちょっぴり生えてたからもうちょっと後?子ナシなのでいい加減ですが。

パキスタンの家が全部そうかどうかわかりませんが、気温が高くかなり乾燥している、という気候もあってその家は、屋根付きコンクリート敷きの玄関ポーチ部分がとても広く、2~3畳分くらいかな、もっとかな、そんな広さがありました。庭よりは一段高くなってる庭の延長ですね。ワタシは日中の大半をその玄関ポーチに座り込んで、庭にいる痩せこけた牛を眺めたり、庭で洗濯桶で洗濯するのを眺めたり手伝ったり、(結構立派なキッチンがあるのに)庭で炊事をするのを眺めたり手伝ったりしてました。

で、赤ん坊。 赤ん坊もみんなの目の届く玄関ポーチにいるのですが、基本フルチンで、起きてる間中玄関ポーチの適当な場所にぺったり座らされてます。時間が経つともちろん排泄をします。その場で。まだ自分で動けないので状況に寄ってはそのまましばらくまみれてます。一度はバランス崩してお座りポジションからうつぶせにばったり倒れた状態でまみれてました。

で、大人(だけじゃないか、小学生くらいのおねえちゃんも)が排泄に気づくと、赤子をひょいっと抱えて状況次第で水洗いして、玄関ポーチの乾いてる別の場所に移動させます。
汚れた場所はバケツで水かけて、庭に常備の、よくプール清掃で登場するT字のゴム貼りの水切るヤツ、あれできゅきゅっと庭に向けて汚水を掃くと、なんせ乾燥してるのでものの数分できれいさっぱり乾いてしまいます。
そうやって赤子は日々、玄関ポーチのあちこちを転々としています。

最初はびっくりしたけど、気が気じゃなかったので滞在してる間中赤ん坊ウォッチャーが主な仕事になってました。でもワタシがいる間だけ無駄に神経質な日本人が神経質にしてたところで、小学校あがってたあの男の子も女の子も、その母たちもああやって育ってたんでしょうね。

頻繁ではないけど外出がある時ばかりはそうもいかないので、間に合わせでおむつ的なものをします。…が、日常におむつ文化がないが故に、そういう時はバスタオルぐるぐる巻きで、半日がかりくらいの外出になるとぐるぐる巻きもgdgdになってましたw

デジカメもまだ一般的になってなかった頃だったしワタシ自身写真始めてもない頃だし、当時の実際の写真がほとんど手元になく、その時のイメージに近い雰囲気の写真を探して貼ってありますが、寝てる時とかはこういう網のベッドに寝かされてます。
フェイサル・シャーのパキスタン便り : ベッド

勿論、赤子だけじゃなくて大人全員このベッドを玄関ポーチやその他庭の軒先に並べて夜寝たりしました。キッチンもあっても使わないし、寝室も個別にあるのに使わないし、日中はずっと玄関ポーチだし、これじゃ壁のある「家」部分、いらないじゃん…とか思ったり思わなかったりw まぁ、冬場はさすがに壁のある側に入るんですよね…きっと。
このベッド、見た目の割にかなり寝心地よいんです。ベランダに欲しいです。

で、目元。印度やパキスタンの赤子…だけじゃなくて大人の女性のメイクにも使われてるこの黒いクマドリ。直射日光から目を守るとかなんとかで、こうやって赤子にもやるんですよね。元々赤子のうちから濃い顔が更に濃くなるという。
ワタシもやってもらいましたが、日本のアイラインみたいなペン型や筆型で細かい粒子の顔料塗ってくのではなくて、ザラザラゴツゴツした太い鉛筆の芯みたいな墨みたいなヤツを閉じた上下の目蓋の内側にびゃーってやられました。涙ちょちょ切れ。
(でもあのイスラム圏のクマドリメイク系、好きなんです)

ちょうど、まだ基本はおっぱい飲んでるけどそろそろ離乳食準備、という時期だったのですが、日本みたいに赤子向けに何か作るとかはしてませんでした。大人の食事時に焼いたチャパティの切れ端をちょっと水とかラッシー(ここで飲んだラッシーはヨーグルトドリンク風味な甘くておいしいヤツじゃなくて、庭の痩せ牛の乳を革袋で攪拌させた乳清でした)に浸して握らせる、それを延々しゃぶる、みたいな。
もうちょっぴり大きくなって本当の乳離れ時期は何食べさせるんでしょうね。ちょっと気になります。

転載 from パキスタンへ行かれたときに赤ん坊の育て方に驚いた、とありました。それについて詳しく教えてください。 - browneyesインタビュー

インド周辺を旅したときのことを教えてください。(ザ・インタビューズ転載)


地図は行った記憶のあるエリア
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あああすいませんすいません、「インド系の音楽、映画にハマったきっかけは?」で語らせてもらった通り、印度に直接は全く縁がないのです!
あ、でも周辺だからパキスタンについて語ってもいいのかw

そんなこんなで日本国内でつるんでたパキスタン人4人組は次々に日本を離れてしまいましたが、仲間の一人が現地でめでたく結婚(勿論当たり前の用に arranged marriage =親同士の決めた人との)、という運びになり、お呼ばれすることとなり、当時唯一日本残留組のパキスタン人のエスコートで現地に向かいました。かれこれ20世紀、世紀末ごろかな、911よりは数年前、2週間くらいの予定だったのですが60日オープンのチケットを手に入れて(ここ後で重要)。

滞在したのはざっくりと、古都ラホール→北部ペシャワールから更に奥に行った無名の町(パシュトゥン人集落だったみたいです)→避暑地マリー→首都カラチ→振り出しに戻ってラホール、てな感じです。

当時は音楽や映画同様、自分の滞在してる国について特に頓着もせず予備知識も大して持たずに連れてってもらっちゃったのですが、今思うとかなりディープな所に一番長く滞在してたみたいです。全然危険な目には遭いませんでしたが。

パキスタンに限らず、何ヶ所か現地の知人・友人宅を訪ねる系の旅みたいな形で訪れる機会に恵まれましたが、パキスタンはそういう形で訪れることが出来て最も面白かったです。お世話になった家の子供に自分の唯一知ってる1から10までのパンジャビ語で算数教えたり、赤ん坊の育てっぷりにいちいち驚いたり、カジュアルに護身用の拳銃が出てきてビビったり、文字通りその空間にいる人全員からのガン見を受けたり、珍しがられるのにウンザリして現地人のフリして頭から布被っても怪訝な目で見られたり、アザーンが流れる度に女の子に一緒にお祈りしないの?って訪ねられたり、ご多分に漏れずお腹下して病院に行ったら点滴が濁流で注入されたりなどなどなど。

で、実は後半はワタシは大分ぐったり辟易しはじめてて、エスコート役に「もういいから日本戻ろうぜ、ていうかおれだけでいいから先に帰る!」と言ってよくよくチケット見てみたら60日オープンの60日が数日前に終了しててびっくりw
4人組の仲のよい知人にパキスタン航空の人がいたので有効期限切れのチケットだけど無理矢理乗せてもらって帰国しました。

ちなみに実家は実家で、「2週間くらいで帰ってくるよ」と言ってしまってたばかりに、あと数日しても音沙汰無かったら国際捜索願いでも出すか、と思ってたそうです。
(連絡取ったのは3週間目ごろ1回だけだったけど、よくよく考えたら後半は都市部にいたんだからもう1回くらい連絡入れとけばよかったのね…)

一瞬長々詳細に書きかけたんですが、本気で長くなっちゃうので一つ一つの体験の詳細については割愛しますね。もし興味のある方がいたら別途聞いてもらえれば土地別でもエピソード別でも語らせて戴きます。

転載 from インド周辺を旅したときのことを教えてください。 - browneyesインタビュー