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2020/01/28

最近注目株な若手カゥワーリー楽団と注目株発掘までのお話

この記事、2週間くらい前に途中まで勢いで書いて力尽きてたんだけど、気づいたら在日パ人のおじさままで彼らのパフォーマンスを投稿し始めたので、ホントに彼ら、今、めきめき頭角現してる矢先だなぁ、というのもあり、まとまりのつかないままだけど、ちょっとだけ加筆修正して記事にしよう。やりきれるかな…w

ちゃんとした紹介からしてけばいいんだろうけど、以下、別所でのおいらの語りがアツくなってたその熱を直送したい気持ちが先に立ってるので、そちらから始まってます。

その後で、彼らを見つけた経緯や、その他諸々書いてあります。おまえのアツい思いなんてどうでもええわ、っていう方は読み飛ばしてください。

Table of Contents

アツい転載

やんだ、冒頭、Shahbaz兄さんのハルモニウム技わりとまとまって堪能できる。

尺も長めだったから、兄さんソロ終わったら止めようと思ったのに、なんとなく普段のルーティンな演奏よりもどことなく何かに実験的だったのか、無帽シチュエーションの演奏の割に妙にガチっぽかったから、うっかり全部観ちゃったわ。

メインヴォーカルFayyazの落ち着きのなさすぎるパフォーマンスには目を閉じるとして(これがネック)、全体的に隙のなさがあったし、各人の歌の入りも計算されてる感じあったし、Shahbaz兄さんの目が全てにきっちり行き届いてる感だし、サブハルモニウムの人の歌も上出来だったし、部外者みたいな格好の端っこコーラスもよかったし、彼らはなんとなく、しっかり練習してるんじゃないの、って気がするなぁ。

そもそも全員歌や楽器の技巧も高いし、若いからか、オンラインプロモも組織的に(?)ガチで、場当たりじゃない品質で取り組んでるし、その甲斐あってか、着目しだしてからの半年でも着々ファン増えてる気がするし(しかも若くてイマドキなのにカゥワーリも好むっ、ていう良質ファンもわりと多そう)、心情的には彼らよりも味方してる素朴なおらが楽団たちよりも、近い将来それなりに大きく成功するような気がするんだよな。

あぁ、めっちゃ長くなった。 改めてどっかにちゃんと纏めとこう。

…と、ここまで某所で勢いで書いたもののほぼまんまコピペ。

楽団発掘試行錯誤

彼らの存在を知ったのは、贔屓の楽団も出ていたData Darbarの過去動画を漁っていた時。

普通の人よりは恐らく、いくらかは多くQawwaliを見聞きしてはいるものの、どうしても世界的に有名な一握りの楽団に寄ってしまうので、現地で良い演奏をしている楽団をもう少し個別に知っていきたい。けどいい取っ掛かりがない。

そうか、現地のそこそこ大きい聖者廟でしっかり動画に収まってる楽団を拾って行けばいいのでは?と思いついたのであった。

インタネット時代の素晴らしいところは、いまや聖者廟みたいな、よく知らないとおっかなそうに感じる所(実際はおっかなくないよ)でも、ソーシャルメディアはしっかり活用してくれてるところ。

なので、主要都市部は勿論のこと、地方都市も含め、スーフィー系でそこそこ名前を聞く聖者廟中心にマークしつつ、まずは個人的にも訪れた事があり、多少思い入れのあるData Darbarから中心に、Mehfil SamaやウルスなどのQawwali演奏シーンの動画を掘り始める。

何度でも言うけどすごいよね、インタネット。
だって、相当な諸条件が揃わない限り、外国人女子のおいらが現地行ったって、聖者廟のガチなイベントなんて、フラリと見に行けないと思うのに。

行けたとしても外国人女子ってだけで、せいぜい端っこで遠目から見るコトにもなり得る(過去、実際そうだった)のに。そして見に行った側の筈のこちらがむしろ、すっごい沢山の好気の目に晒される筈なのに。

ていうか、そう。そういう状況なので、おいらが仮に現場に見に行ったとしても、絶対「普段の演奏シーン」にはなり得ないんだよ。外国人女子なんていう珍獣が紛れ込んだ状況はその時点で、彼らにとっては普通じゃないから。

そんな場所での舞台近くからの様子がお茶の間で垣間見れちゃうんだから。
現地でその「場」自体を味わうのが勿論、一番なんだけど、数多くを知るにはインタネット、ホントにありがたい。

さて、そんなこんなでData Darbarのここ1年くらいのそこそこ大きなイベント動画を漁り、オープニングやトリの方など、現地でもある程度よいと認められてそうな楽団の演奏シーンを眺める。

既にラホール、Dataあたりでよく演奏する数組は知っているが、個人的な好みのストライクゾーンにカチリとはまる楽団は意外と少ない。そんな中、意外に若手編成で、技巧もしっかりしてそうなグループが目に入ってきた。

いつもここからが大変。大抵の演奏シーンの状況は楽団の演奏が大きな役割を担っていたとしても、演奏そのものが主体な訳ではないので、その場できちんと楽団名の紹介までされる事は多くはない。いくつかの演奏シーンを拾っては演奏前後で耳をそばだてる。彼らは早々に拾えたのでよかった。

Shahbaz Fayyaz Qawwal

それがこのShahbaz Fayyaz Qawwal。メインの兄弟の名前繋げただけだけど、どこの楽団もグループ名は大抵そんななので。状況に応じて前後に流派や関連教団や出身地とかも副題的に付けたり付いたりはあるものの。

※長くて面倒くさいのでおいらは普段、楽団名としてはSFQって略すようになってるので、以降はこの記事でもそれに倣っちゃいます。

着目しはじめた当初から、メインヴォーカルのFayyazのオーバーアクションすぎるパフォーマンスがちょっと鼻についてて、それが、本来の宗教的イベントではない催事の時は顕著になるので、「巧いんだけど、ちょっと…」って思ってた。

そう思いつつも、彼ら、ホントにソーシャルメディア上でのプロモに余念がなく、ちょっと追いはじめたら、来る日も来る日もしっかり目に触れるんですよ。日々のライブパフォーマンスは大半、ライブストリーミングもしてるので。

しかも、マークしはじめてから約半年弱、ストリーミング動画の撮り方も、今まさに質の向上に努めてる様子。当初はいかにもスマホからの手ブレし放題だったのが、会場ごとに撮影に最適そうな場所からの極力固定された撮影に変わり、最近は時に、編集動画には動画編集チームらしき名前まで入るようになった。

そんなこんなで、そこまで望んでなくても目に触れる機会は増え、「じゃあ触りだけでも」と観る機会も増え。でもそうやって見続けてる間に、鼻につくポイントはあるものの、まずはリーダーでサブボーカル+ハルモニウムをやってる、小熊みたいな風貌のShahbaz兄さんの良さが無視できなくなってきた。

Shahbazに限らず、鼻につくポイント以外はメインボーカルのFayyazも、そして、それ以外の前列の歌い手も、後列のコーラスも手拍子も、みんな平均的にレベル高いし、全体の構成バランスめっちゃいいんだよね。どこにもいい加減なほころびがない。よく統制が取れてるの。

他に良く知ってる楽団がどうしても贔屓の楽団なので、比較対象にしてしまおう。
贔屓の楽団たちは、都度のパフォーマンスを振り返って次に繋げる、みたいな所はあまり感じられない。よくも悪くも従来的な素朴な楽団で、わりと個々人の資質と日々の現場の積み重ねによる肌感のみっていう感じ。

SFQは自分たちのやってる日々の活動(パフォーマンスだけでなくPRにおいても)を俯瞰・分析する力が強い気がするんだよね。自分たちの力でもう一つ高みに行こうっていう能動的な野心が強くて、それが功を奏してる感じがある。

これは、どちらがよいか、ではなく、能力も、そんな野心の方向性も、両方含めてそれぞれの楽団の個性かな、とも思うんだけどね。「現代」に合わせてプロモ戦略をうまく使えてるのは圧倒的にSFQだし、その成果はネット見てても明白ではあるなぁ、という感じ。

贔屓楽団たちにもまだまだ頑張って欲しいんだけどね。かといって彼らがSFQと全く同じやり方したら同じ様な注目株になれるか、というと、多分そうじゃないんだろうな。彼らは彼らで、彼らに合った成功の仕方を模索してくしかないんだろうな。

Resources

2020/01/11

デコトラ、トラックアート、ツーリストアート、ビジネス in パキスタン

現地で拝む各種トラックアート

現地では束の間だったけど、いいコンディション(?)でガチなトラックアートを拝む機会もあった。

当初は出くわすたびにキャアキャア言ってたけど、ペシャワールなんて、トラックもバスも、なんならあの姿が標準的と言っても過言ではなかったので、いつしかキャアキャア言わなくなった。

空港内のトラックアートを模したデザインのカート?や土産物屋に並ぶトラックアート由来のデザインの小物など、空港のそこここで、トラックアート由来の品々を見かけた。

それらの写真をFBのStoryで上げたと思ったら、たまたまそれを見た、夏のパキスタンフェスで来日以降仲良くしてくれてるトラックアーティスト氏から「あっ、それおれの作品!そっちはウチのチームの誰それの作品!」てメッセージ来て、おぉぉ、ってなった。

現地で本人には会えずじまいだったんだけど、彼の作品には、イスラマのスーパーでも出くわした。トラックアートを施したマグカップがパッケージになったビスケット。少し前に自身のFBで、「直近の仕事」として掲載していた写真そのものが、スーパーの目の前の棚にあったのだ。

言語化出来ないでいた疑問

実は夏のパキスタンフェス以降ずっと、こういったトラックアート派生の、「実際にトラックに施されてない」「デコトラ由来の」「デコトラ職人以外による」グッズ・アートに関しては、うまく言語化出来ぬままモヤっとしたものを持ち、そのモヤっと抽象的なまま、時折色々考えてた。

そんなスッキリしないお題を頭の片隅に持ったまま季節は流れ、すっかり冬になったつい先月、「アフリカンアートを売り込む」といった、若干押し売り商人みたいな攻めのタイトルの(でもめっちゃ内容の素晴らしい)シンポジウムを聞きに行った。

おいら個人はアフリカに関してはコンゴ限定だし、更には、ほぼほぼ音楽中心でしか見ていないので、一般で言うアフリカンアートは興味のストライクゾーンでは全くない。

が、今回、登壇・発表者者が座学な研究者ばかりではなく、営利・非営利で実務としてアフリカンアートを、日本国内で紹介したり販売したりしてきた方も予定されていて、とても具体的な事例や視点が聞けそうだったので。

しかも、アフリカンアートという、いい塩梅に中途半端で乱暴な括りが故に、その他のマイナーなナニカを紹介する際のアプローチ方法のアイデア参考にもなるかな、なんて思ったから。

例えばコンゴという国限定しかり、エリア違いのパキスタンしかり、美術品にとどまらず、音楽文化の紹介しかり、そこから派生する付随文化紹介しかり。自分が能動的に何かを企画する立場ではないながらに。

収穫は期待以上に大きくて、昨年行った多くのイベントの中でも、最も「行ってよかった」度の高いものになった。そして、ここで、夏以来のモヤりの言語化のヒントにも出会うこととなる。

それがツーリストアート(もしくはエアポートアート)なる用語。

ツーリストアート(エアポートアート)とは

曖昧な記憶でまとめとくと、その土地ローカルでは根付いてないのに、土地の土産物として空港なんかで定番土産になるアート、のようなもの。

シンポジウムでの事例としては、ベナンの彫像群だった。その彫像群は何がきっかけだったか忘れたけど、宗主国の白人たちが土産物として好んで買うから、作り手が増えてった、とか。

内部の、自分たちのためのニーズでもなく、自分たちの文化の中での美の追求や価値観由来の発展でもなく、(主に)外界・からのニーズに応えて発展してしまう/させてしまうアートのこと。

で、アート史?界?としては軽んじられがちだし、むしろ疎まれがちな側面もあるらしいんだけど、ベナンの事例だと、ツーリストアートとして定着したその彫像・彫金手法のものが後に、ローカルな祭事の場面でも使われ始めて、ローカルな固有アートにも影響を与えはじめるから、無視したもんでもないのでは、みたいな話だった。

このツーリストアート自体、そんな立ち位置から軽んじられてるが故か、研究はそんなに盛んそうでもないし(ググってもあまり出てこない)、研究する側のフィールドも、アート系の一部としてなのか、文化人類学的に研究するのか、で、見えてくるものもすごく違ってきそうで相当興味深く思ったり。

デコトラ、トラックアート、ツーリストアート、ビジネス

そんな経緯も踏まえて、夏とは異なり、新しい概念を学んだおいらは今回、空港の土産物屋やその他の、パキスタン国内の様々な場面でこういったトラックアート派生の土産物を見てて、「トラックアートも最早、いわゆるツーリストアート」だなぁ、みたいに思った。

トラックアートはそもそも、デコトラという、とても限定的なものから始まっていて、ローカル固有で独特なものとして発達してきたものを、今やそれをトラック職人じゃないアーティストたち(や国も上げて、かな?)が、自国の文化として、ツーリストアート(に限らず国内でも各種アート)として利用しはじめてるシフト期ってのが現状な気がする。

なので、シンポジウムのツーリストアートとは始まりの経緯が若干違うものの、良いとか悪いとかではなく、でも、「デコトラそのものの何か」とは、既にちょっと独り歩きした類似別種のものだよね、と。

実際のデコトラのトラックアートはそれとして、今でも現地にしっかりとあった。どちらかというと、都市部ではなく、工場の多いエリアや地方、そして地方と都市をつなぐ幹線道路で目にする事が多い。

で、それと分化・並行して、都市部や商業的な場所、文化施設、国の玄関口とも言える空港では、トラックアート的アートビジネスらしきものが既に、着実に存在してるように見えた。

上述のニポンで親しくなったトラックアーティストたちも、現地の埃っぽいデコトラ整備工場で砂塵にまみれて実際にトラックに装飾をしている人たちとは別種の人たち。

職人ではなく、アーティストがデコトラモチーフを使ってアート活動や国際交流を実践している、という感じ。自認もあくまで「アーティスト」である。

そして、いわゆる「トラックアート」的なアートを手掛け、時折、国内のメディアでも「トラックアーティスト」としてインタビューを受けたりしているが、トラックアートと全く関係のないペイントも手掛けている。

彼ら経由で、パキスタン国内のその他の「トラックアーティスト」(Not 職人)も見えてくるようになったが、彼らの様に兼業アーティスト(トラック&モダン・アート)な人もいれば、完全に土産物的なツーリストアート専業で国内イベントを渡り歩くアーティスト、更に異なるジャンルのアートとの融合を試みるアーティスト、様々である。

くどいけどもう一度書いておくと、その優劣だとか是非だとか、そういうジャッジには全く興味はない。

これらはここから先、どんな風に発展してくのかなー、と、現在とこれからに興味がある。

後出しジャンケン

最後に後出しみたいに書いておくが、そもそも、トラック以外の、バスやリキシャや、何なら露天の荷台も類似のデコレーションを施すし、それらとは関係なく、宗教施設も各種祭事の場も違ったデザイン文脈でそれぞれ、華美な装飾はしてるんだけど、それはどこまでを同じ括りにしてよいのか、分けて考えたらいいのか、細かく考え始めたらキリがなくなるので、この記事では乱暴にデコトラについてのみ書いてます。

デコトラからデコバス、そしてリキシャや屋台への変遷の歴史は繋がりも深そうだし、並べて見ていきたいトコだけど。