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2019/09/24

傍系視点でQawwaliを「見」る (その2)

さてさて、今日もまたおかしな動画貼りつつアツく語っちゃうよ~。

…と言っても、今回は紹介するのも躊躇したほど、音質も映像も相当に酷いです。スピーカーの方はボリューム一旦下げてから、ヘッドホンの方はヘッドホンちょっとズラして聴かないと耳壊れるかも。

今回は(も?)、もはや曲への関心というよりは、状況全般について、主に楽団内、もしくは、カゥワールと聴衆…いや、この映像の場合「聴衆」なのかすらわからない方々との関係性に着目しまくっております。なので画質音質度外視で、それでも「うおお」と色々思わざるを得なかったヤツなのです。

でも、演奏進行の手法(?)中心だから、傍系ってほど傍系ではないかな?わからんw

まずはもう何度も言ってそうだけど、ホントにインタネットに感謝だわ。だって、安くはない貯金はたいて現地に行ったとしても、外国人女子、こんなトコに潜入することはままならない。
そんなところの映像までこうやって拝めてしまうんだもの。

さて。
今回も、先日来日したBadar Ali & Bahadur Ali楽団の現地映像。
場所不明、イベント主旨も不明ながら、どう見てもどこかのダルガーか何かでの当日ライブ配信されていたもののアーカイブ。

配信元のFBページも、一体なんのページなのか今ひとつわからず、同名でググって唯一ひっかかったYouTube(動画はほとんどなし)のbioにある "Silsila Qadri Chisti Qalandri" という一文のみ。
よくわからんのですが、チシュティ関連の何か、なんでしょうね。

実は今回の紹介動画と同日の別ライブアーカイブ(こっちも音酷いんだけど、曲としてはこれ、実は相当に好き)もあるんだけど、いずれも、エラい方々が必ず4~5人で、円陣でも組んでるかのように手に手をとりながら楽師に向かってきては、ちょっと変わった形でヴェールを延々撒いていく。

別のダルガーでも同様だったけど、エラい方が立ち上がると、立つことが可能な楽師も観衆も立ち上がる。どうやらどこでも概ねそういう作法らしい。

このイベントはエラい方グループも複数組いるようで、次から次からエラい方グループが、歩きづらそうな円陣状態でやってくる。(そのあたりは、上の別動画だとひっきりなしに様子を見ることが出来る)しかも、楽団前での滞留時間が長いので、実質全員ずーっと立ちっぱなし、みたいな状況。

ヴェール撒きも、大抵のイベントでは個々にパァーっと豪快に撒き散らすのが常だけど、ここではどうもエラい人経由でヴェールを渡す仕組みにでもなってるのか、前に出てきているエラい人グループの数名に、周りから少しずつ紙幣が集まってはパラッパラッと投げたり、捧げ渡したり、手渡したり…というのが延々と続く。

…いや、この量がパラッパラッに思えるようになったのは、豪快すぎるヴェールの動画を見すぎたせいか?w

前置きが長くなっちゃいましたね~。
じゃあ、音の酷さにびっくりせぬよう、気をつけてご覧くださいw
ちなみに映像も、夜のフラフラ手持ちスマホです。酔わないように。

曲は(Qawwali好きには)おなじみ Ali Maura Ali 。

上述のとおりで、こちらの動画は既にエラい人グループが近寄ってきてる所から始まってるので、デーレーダール(リーダー)は最初っから立って歌ってます。

カメラが楽団近くに回り込む1:00過ぎあたりからの絵は、もう実質、その場のみなさんに向けての演奏、というよりも、目の前にいるエラい人との対話か、って状態。

エラい人もヴェールを渡したり捧げたり両手を挙げたりと、存分なリアクションで、もんのすごい濃密インタラクション。

のっけからずっと色々濃すぎて気圧されちゃうんだけど、このあたりからようやく、周囲にも目が行くようになり、他の楽団メンバーも見えてくる。

デーレーダールが立ちっぱなしってのもあって、恐らく曲の進行やペース確認の目視のため、ハルモニウムのチョーティーデーレーダール(サブリーダー)はデーレーダールの動向をしっかり見ながら演奏してるのが見て取れますね。

そして歌は "Ali Maura Ali" の繰り返し部分へ。

この濃密インタラクションで、相手のリアクションを見てなのか、恐らくデーレーダールの即興判断で繰り返しを引き伸ばすことにしたのか、1:30頃にフレーズの転調をさせようとした楽団をサッと制してAli Maura Aliを繰り返す。

わぁわぁ、やっぱり即興判断で進行させてくのか~!と、冒頭数分でも濃密なこの動画、更に前のめりに見入ってしまう。

そして、2:50過ぎにカメラが逆サイドに回り込むと、既にトランス一歩手前のおじさんが目に入る。相当キてそうだけど、他の人に抑えられつつその一歩手前の状態で、時折ヴェールもきちんと撒いたりはしてる。

そのおじさんにあっけに取られているうちに3:50くらい、ヴェールを受け取ったデーレーダールが歌いながらヴェールを足元に無造作に落としていくのに気付きはじめる。この受取済みのヴェール処理も動画を通して、何度も見ることが出来て、途中、いつ受け取って、いつ手放すか、どう落としてくか、がいちいち気になるように。

前の記事でも書いたような気もするが、未だ有象無象ある、自分の中でのQawwaliについての大量な疑問・関心のうちのひとつは、楽団の楽曲進行はどう先導されてどう合わせていくようになっているのか、なんだけど、少なくともこのイベントみたいな即興判断も多そうなシチュエーションだと、先導については圧倒的にデーレーダールの采配なのかな。

立ちっぱなしで様子が見づらいデーレーダールによる即興判断アレンジもある中、それにうまいことついてきてるハルモニウムやタブラ、絶妙なタイミングで差し込む合いの手コーラスをはじめ、楽団も凄いよなぁ。

ちなみに、紹介動画ではない別のパフォーマンスで一度、合いの手コーラスからデーレーダールが自分の歌に戻そうと思って声を出しかけたけど、楽団の演奏がそのまま合いの手サイドの歌に流れてしまい「チッ」みたいな顔して流れが戻るのを待ってるシーンも見たことはあるので、連携の失敗も時にはあるのかも。

いずれにしたって、演奏始まっちゃったらもう、走り続けたまんま全てを処理していくしかない。しかもあくまで楽団なので個人プレーな訳じゃない。個々人の技能や判断力を持っての団体行動。はかりしれないわー!

…と感心しながら見ていると、4:00過ぎにはようやく、実際ジェスチャーでやり取りにも至れた様子。にしたって、どんな時でも演奏は進んでるので、ホントに瞬時の確認、という感じ。長いこと共にやってるチームならでは、なのかなぁ。

そんなこんなしてるうちに Haq! Haq! …と、曲も最も盛り上がる所へさしかかり、カメラも再び逆サイドアングルへ移動。気づくと、当初はデーレーダールのみが立っていた楽団、他のメンバーも数人立ち上がってますね。

…と、6:35あたりから、楽師にダイレクトに、面前のエラい人から曲についての要望が入る。歌詞について、なのか、曲の流れについて、なのかは定かではないものの、エラい人が軽く手で制止してしまったのもあって、珍しく一瞬演奏全般が止まりかかるものの、早々に立て直してつなげて行く。

演奏メンバーにいながらにして換金や回収係もやる役割の名称、何ていうんだったか、以前チラリと村山先生が言ってた気がするけど忘れてしまった。取り敢えず「庶務」とでも言っておこうかw

そんな、庶務役の背後のメンバーからもデーレーダールに素早く何か耳打ちが来て、歌いながら即座に相槌だけ打ち、庶務役メンバーは一旦しゃがみ込む。どうやらヴェールの換金業務も始まった様子。なかなかの機転。

そして新たに現れるエラい人グループ。各種ヴェールの受け渡しバリエーションや受け取ったヴェールの処理も堪能。いやしかし、いつになく演奏の迫力もすごい気がするんだけどどうなんだろう。

その後も庶務役メンバーが背後からちょこちょこ耳打ちを試みてるようだけど、歌も演奏も佳境に入り、もはや聞こえてなさそう。9:10頃にまたエラい人から軽く要望が入った模様。今回は演奏が止まることもなく対応出来てる様子。

以降、わりと楽団の方ともアイコンタクトしながら歌ってる感じもある。要望による即興進路変更についてなのか、収束への移行合図なのか、そのあたりは不明。

9:40頃には、滅多に聞かない1オクターブ上への絶叫メロディまで飛び出す。この1オクターブ上に音程がいく歌い方、ヌスラットはステージライブでもちょいちょいやってたけど、この楽団で見るのは珍しい気がする。やってる楽師たちも何かスイッチ入ってたのか、聴衆への更なる高揚コントロールなのか。

で、ぼちぼち終盤、エラい人グループたちの襲撃(笑)も終わり、楽団もようやく皆座って歌を続ける。なんだかもう、agaりきった演奏がすぐにはストップ出来ず、整理体操が必要で暫く歌い続けてゆっくり収束させてるのかな、って感じ。ゴールを過ぎたけどターフをもう半周くらいする競走馬みたい。

いやー、これ、音がもうちょっとでいいからマトモだったらよかったのにねー。これだけクオリティが酷くても、最近はもうドハマリしてよく眺めてます。

そう、こういうのが見たいんだよね。
おいらが見たいのはステージ上の楽団側の「演奏」だけじゃなくて、こういうインタラクション含めて、なんだよ。場ぜんぶ。ローカルで本来的なカゥワーリ。絶対一生見れないと思うけど。

先日Qawwali好きな友人たちとの話の中で、彼ら讃歌や祈りに纏わる歌を演っているけれど、彼ら自身の役割・立ち位置っていうのは、「祈り」ではなく「祈らせ」であって、それを生業としている自覚は持ってるんじゃないか、みたいなコトを話してたんだけど、この動画とか見てると、やっぱりそれで当たらずとも遠からずなんじゃないかなぁ、と。

多分、彼ら自身がQalandar(陶酔?)状態、にはなれないんだと思う。彼らのミッションが聴衆をQalandarにさせるコトが故に、自らが溺れちゃったらむしろ、プロ失格なんじゃないかな。聴衆の求めるものを与えて、流れを読んで、煽って、それらを瞬時に判断して楽団全体の流れもコントロールして。更に可能な限り稼げるような環境作り(ヴェール換金手配とか)も、必ず並行してやる。

彼らはそれら全部ひっくるめて、やっぱり相当に上手いんじゃないかなぁ、って思う。いやいや、それらは当たり前が大前提の職能世界といえばそうなんだけど。

生で触れたことのある楽団が多いわけじゃないし、「コンサート」的なステージライブ以外でのパフォーマンス自体、生で見ることは難しいので相対値や比較すら不能ではあるんだけど、ね。
でもこの動画とか見てるだけでもそう思わない?すんごい情報量の多い濃密な10分だと思ったよ。

逆に、他の楽団の現地でのライブ動画も(特に最近は)見てみるようにしてるけど、わりと薄い演奏な楽団も多いから、判官贔屓を差し引いたとしても、彼らはすごい方なんじゃないかなぁ、って思うのでした。更に凄いのゴロゴロしてるなら観たいトコだけどね!観れないし!!

2019/09/21

音楽への偏愛の始まりかた

音楽を愛するということは、詩から入る人もいるかもしれない。
そういう人は歌詞が分からないと愛することができないんだと思う。

翻って私は、若い時のヒップホップ、あと、カゥワーリを含めたパキスタン音楽、あとはコンゴの音楽、いずれも言語が全くわからない状態で、まずは恋に落ちてる。

なので音楽って、なんだろうな、言葉の理解は、主かもしれないけど必ずしもそうではないのかもしれないと思っている。

言葉の理解は後からいくらか追いつくことは出来るし、その反面、異国の音楽は、言語理解だけでは、その言語のネイティブ、土地のローカルでない限り、完全に解りきれるものにはなり得ない面も事実としてある。

そして、そうだな、そこへの共感とか同調とか歩み寄り、みたいなものも、それは「肌で」「どう愛せたか」によりけりであって変わってくことだから、常に言葉が最初である必要はないんだと思う。

言葉の理解から音楽を愛する人がいることも事実なんだと思う。
実際、意味のわからない曲聴いて何が楽しいの?って聞かれたこともある。
でも、言葉以外のところで愛し始める人も私だけではなく、それなりに存在するとは思う。

で、どちらの側にとっても、反対側の愛し方を始める人がいるという存在は否定してはいけない、どちらが正しい、間違ってる、という話ではないんだろうな、と思ってる。


…と、最近、言語理解が不充分なままに心を動かされたカゥワーリを聴きながらボイスメモ→音声入力書き起こし→整形した。

何が言いたいのか、結論のよくわからない文章だけど、自分の中でモヤーンとしてるものの核部分はちょっと出たような出てないような。

それでも、こういうの、頭で考えてキーボードカタカタ、だと、Mind Clip(←今テキトウに考えた造語)が追いつかないからやっぱりボイスメモからの音声入力便利だわ。

ボイスメモまんまだとさすがに、自分の中では考えてたけどすっ飛ばして言ってるコトも多いから、音声入力で整形しつつ、最低限の捕捉や書き直し、ってのが今の所ベストかなー。

それでも上述の通り、第三者向けにはおそらく相当に意味不明ではありそうだけど、いいんだわ、ここは書き散らしで。
ここは、つったって、他に更にきちんと書くかってのは置いといてw

多分、大昔に、意味分かんないのに聴いてて何が楽しい?みたいなコト言われたのかも。いや、以前はセルフツッコミ的に自分でもそう思ってたかも。

そんな見えない何かたちへの反論兼自己納得自己完結、って感じかも。

そりゃ、何について歌ってるのかさっぱり解らないで聴くのは圧倒的な片手落ち(って今は言っちゃいけない言葉かな)だけど、それでも聴いてる耳からじゃなくて、なんかこう、全身から色んなものが出たり入ったりする時って、実際あるよ。

それがあって、その曲を愛しはじめて、何歌ってるの?に向かってって、更に惚れるもよし、なぁーんだ、つまらんコト歌ってた、って拍子抜けするのもよし。

そうだね、最終的に、言語理解への興味には繋がるんだ、大抵。結局。

だったら入り口はなんでもいいよね、ってコト。

あと、解らないから聴こうとしない、はもったいないよ、ってのも。

まぁ、そういう異国の曲そのものに興味すら持てない場合は無理したってしょうがないけど。

2019/09/06

傍系視点でQawwaliを「見」る (その1)

Qawwali三昧とトラックアート三昧、つまりはパキスタン🇵🇰イベント三昧でブログ書くどころじゃないくらい忙しかった夏。こっちにもしっかり記録しておきたい気持ちもありつつなんですが、まぁ、取り敢えず別所に書き散らかしはしているので、いんしゃっらそのうち纏めよう。あくまでいんしゃっら。

この記事への必要最低限の背景を書いておくと、色々なご縁により、いくつかのQawwaliイベントでヴェール(vel:おひねりを花びらのように撒くヤツ)の回収をやらせて戴いて以来、カゥワーリ楽団の、曲そのものに付随する、曲以外の色々なところに着目するのがこれまで以上に面白くなってしまって。

どこかにも書いたけど、子供のころから、戦隊ものでも赤とか青みたいな主役よりも、目を引かない名脇役が大好物なおいら的には、わりとそういう周辺情報を執拗に見てニヤニヤするのが楽しくて楽しくて。

そちらにがっつり興味が行っている今のうちに、そして、なかなか冷めやらない熱がアツいうちに、丁度よい参考動画を見つけたので、動画と共に書いていってみよう、という、Qawwali傍系記事、です。

ていうか、偏愛が過ぎて異様に長くなってしまったので、お忙しい方はブクマしといて後でゆっくり見てね♥


Qawwaliの演奏って、乱暴に大別すると、

  • 本来的(?)な聖者廟などでのイベントの際に行われるもの
  • いわゆる演奏会やコンサート、みたいな任意の会場で行われるもの

みたいな2タイプに分かれる。どちらでもおひねりは付きものだけど、個人的には前者の雰囲気を見るのが好き。

加えて、素晴らしい演奏をして当たり前な、引く手あまたで、最初から高額なギャラも見込めてしまうような大御所のもので見るよりも、中堅どころな楽団の現地での演奏の方が、おひねり視点みたいな傍系な好奇心から見るにはむしろ、情報量がめちゃくちゃ多い気がする。

まだまだ伸びしろもあり、野心も強く、且つ、実力もあって、しかも、都度の演奏が日々の糧ともより密着してそうな気がするからだ。まさに今回来日したBadarたちのような。


ということで、サンプルは敢えて、今回6年ぶりに来日したBadar Ali Khan / Bahadur Ali Khanの兄弟楽団の現地でのパフォーマンス。

いくつか興味深いライブ動画はあったんだけど、多数の動画を右往左往してもとっちらかるので、主には1点でいいかな。もうひとつ次点で、その視点で見るのに好きなヤツあるから、そちらも併せて貼ってはおくけど。

badar ali khan bahadur ali khan qawwal - YouTube

5分未満、と、 Qawwali の1曲通しての動画としてはさほど長くもないこの動画。だけどホントにおいらのまだまだ薄い知識の範囲だけでも、相当あげつらって書いていける。

まずは会場。ラホールはData Darbarのサマーホール。サマーはsummerではなくsama。単語の意味として厳密な理解は出来てないんだけど、今回の日本公演のタイトルにもなってたMehfil-e-samaは「讃歌の集い」的なヤツのよう。讃歌?うーん、それだけでも言い切れないのが実際のところだけど、そんなニュアンス?

Mehfil - Wikipedia

2017年にラホールを訪れた時、実は、まさにこのホールの隅っこで、まさに上の動画のようなスタイルのMehfil-e-sama(だったのかな、あれも)を見た。

「動画のようなスタイル」というのは、そのスタイルを知らずにいきなりこの短い動画だけ見てるとそのポイントも容易に見過ごしてしまえるのだが、特定の楽団がじっくり演奏するのではなく、複数の楽団が短い持ち時間で次々に入れ替わって演奏していくスタイル。さながらカゥワーリ歌合戦。

恐らくは各楽団にとっては、限られた持ち時間で自分たちのパフォーマンスを存分にアピールして、より多くのおひねりをもらい、顔を売る。上手く行けばどこかに呼ばれるようになって次に繋がっていく、わりと大事な登竜門的イベントなんじゃないかと思う。


さて、映像の中の出来事について追ってこうか。文章クッソ長くなってるけど、動画1回見てから読む?読んでから見る?読みながら見る?お好みでどうぞ!

この映像も、最初の30秒くらい、よく見ると舞台の下でゴソゴソしてる集団がいる。これはBadar Ali Khanたちの前に演奏していた楽団が、自分たちの持ち時間中に撒かれた自分たちの分のおひねりをまだかき集めてるところと思われる。

で、一旦カメラがあらぬ方向に行って再び楽団の方に向いた頃、ようやくおひねり回収の完了した前の楽団員たちが舞台を後にする。

さて、ここからがBadarたちのホントの本番。いや、とっくに演奏は始まってるのだけど。

…と、舞台を横切り舞台上の若手楽師に紙幣を渡すおぢさん、画面が見切れてるので推測だが、恐らくはおひねりばら撒き用に、高額紙幣を小額紙幣に換金しているものと思われる。

若手楽師はどうやら、コーラスと手拍子だけではなく、演奏の間中、随時、そういった役割も担っているらしい。というか、換金係だけでもない。ばら撒かれたおひねりを回収するのも彼らなのだ。それはもうちょっと後から存分に見ることが出来る。

換金おぢさんも一人ではなく、あちらこちらでお札の受け渡しをしているようなのだが、若手楽師以外のそういった人たちは、どこに所属しててどういうシステムで動いてるのかは、おいらにもまだ、今ひとつ解らない。会場によりけりだったりするのかな。

…と、いよいよばら撒き開始。わりと豪快。

ここも今ひとつ具体的に説明出来るような理解には至ってないのだが、カゥワーリの時のおひねりは、楽師たちに向かってのみ撒かれる訳ではない。

この映像でも、景気よくばら撒く偉そうな人たち同士がお互いに向かってばら撒き合う様子も見られる。なんなら楽師に尻向けて、でも明らかに楽師たちの歌を口ずさみつつ、興に乗った風情で、偉そうな人たち同士でばら撒き合う。

が、その楽師の演奏中に撒かれたおひねりは、撒いた際の対象者を問わず、演奏している楽師のものになるようだ。

すると今度は舞台上で新たな動きが。楽師の後列で手拍子をしていた若手楽師の一人が立ち上がり、舞台を降りていく。程なくどこからか持ってきた数枚の紙幣と引き換えに、別の紙幣の束を持ってまたどこかへ向かう。会場のどこかから換金要請でもあったのか。

若手楽師の離席中に、手渡しおひねりもやってくる。ばら撒くのはあくまで場の盛り上げの一手法なだけであって、常にばら撒かなければならない訳でもない。ばら撒き好きのおぢさん自身も、ばら撒く一方、気持ちよさそうに一緒に歌いながら楽師に手渡しもしている。

ちなみに、Sabri Brothersの古い英国公演の動画では、在英パキスタン人オーディエンスたちは全員、舞台前に行って楽師たちに上品に両手で手渡しをしてた。

動画に戻ろう。いいタイミングでカメラが客席の方を向くと、舞台とは相当離れた所にばら撒かれたおひねりをかき集める数名が映る。舞台を降りて換金屋になってた若手楽師も、そのまま舞台に戻らずにかき集めている。

カメラが再び舞台を向いて程なく、換金楽師の黄色いクルタの腕が舞台に向かってニュッと映り込む。舞台上の別の若手楽師も、既に換金楽師が向かってきているのに敏感に反応しており、後列からまた、小額紙幣の束を引き換えに渡す。かき集めている間に更なる換金要請でもあったのだろう。

換金若手楽師くん、一旦舞台上に戻るが、座ったかと思うと後列の先輩楽師に何かを言われ、また舞台を降りる。今度は舞台正面で既に床を埋め尽くしているおひねりをかき集めはじめる。

面白いのが、曲が終わりにさしかかり、テンポが下がる頃には、別のおぢさんが舞台の縁に積もっているおひねりを床に払い落としている。これは恐らく、この、入れ替わり立ち替わりな演奏システムに限ってはキモになる作業なんじゃないかと推測する。

時間がくれば否が応でも舞台上は次の楽団と入れ替えになる。舞台上の楽団が入れ替わってしまったらもう、舞台上のおひねり回収は不能になってしまう。なので、動画冒頭30秒のとおり、次の楽団と演奏を交替しても暫くは床で、払い落とした自分たちのおひねりを拾い集めるのであろう。

というか、実は冒頭30秒の、前の楽団による舞台下のおひねり回収シーン、どうも回収作業で舞台正面の装飾やらマイクのラインやらが絡まったりなんだりでモタついていた風にも見えるので、最後まで見終えたら、もう1回最初から見てみると味わい深い。

Badarたちの舞台下での最後のかき集めまでは動画に治まっていないが、演奏終了間際、まだ歌が終わり切る前から既に、楽団員たちが腰を上げ始め、速やかなる撤収に向かい始めたところまではしっかり動画に収まっている。

現地で見た時も実際そうだったが、この各楽団の持ち時間は容赦なく決まっているようで、持ち時間が終わると皆、早くしろと追い立てられていたようだ。勝手に長々演奏を試みたりすら出来そうにない空気すらあった。

今回の彼らの日本公演でもたびたび、演奏の前後に主催の村山先生が「この曲も時間ぴったりに収めてくれた。さすがですね~。」みたいな話をされていた。

なるほど。その気になれば1曲あたり1時間越えレベルで演奏も可能なカゥワーリの楽曲。ゆるゆるダラダラ長々、なイメージしかなかったけれど、実は場に合わせての時間のコントロールっていうのも重要な技量の1つなのかもしれない。

いやー、たったの5分弱なのに、おひねり視点中心で書いたらこんなに情報量が多い、これはある意味、相当興味深い動画!


2017年のラホール訪問時にもつくづく思ったけど、外国人かつ異教徒、しかも女子が現地で「そのもの」を見る機会自体、正直、色々ハードルは高い。Data Darbarも、周辺には女性の姿もあったが、サマーホール内には、現地人であっても、女性なんていなかったしね。

なので、おひねり回収を女子が体験させてもらえるなんて、「よろ!」って言われても、なんとなく躊躇してしまうくらい、ニポンでの公演でなければあり得なかった。

お陰でおひねり周辺事情への興味もいや増すワケである。


そして2本目。こちらは演奏時間ももうちょっと長い。おひねりまわりの言及の大半は1本目で済ませてるので、こっちは貼るだけ…と思いつつ、いくつかだけかいつまんで。(とか言って長くなったらスイマセン)

Ya Farid Haq Farid qawwali in sivia sharif 15april2016 qawwal Badar Ali Khan p6 - YouTube

ここがどういう場所なのかはちょっと定かではないのだけど、動画タイトルにある固有名詞でググると、ラホールとラワールピンディの中間くらいの場所に、そういう名前の通りのある町が出てくる。

そして、その通りを辿っていくと、そこそこ大きめなダルバールがあるようなのだが、そこなのかどうかは定かではない。(でもダルバールの名前でググって行き当たったYouTube見るに、当たりな気もする。)

ここで1つ謎なのが、つい先日、パキスタン国内にあるチシュティ教団系の聖者廟はPakpattanにあるBaba Farid Dargahのみだ、という話を聞いたばかりなのだが、このSiviaという場所にある大きめのダルバールも「チシュティ」の冠がついているようだ。

「ようだ」というのは、ググるマップ上の名称が微妙に表記揺れっぽいので断定しきっていいのか、別物な単語なのかでちょっと自信が持ちきれない。しかし、この動画の曲名からしてまさにBaba Faridについての歌のようである。なので、やはり何かしらチシュティに縁のある会場なのではないかと推測する。

…というか、あれ?考えてみたらおいらがDargahとDarbarを混同してるせい?がしかし、少なくとも自分の知ってる言語ベースで説明を見比べると、どちらもShrineとか廟とかに行き着いてしまう。今更だけど、この2つの用語の厳密な違いって、何???

上の数段落、ちゃんと調べて正しく書き直そうと思ったけど、現時点では正解がいまひとつ解らないので、おいらの混乱した思考のまま残しておいて話を動画に戻そう。


この2つ目の動画は、既に何曲も演奏した後から始まってることもあり、サムネ見てるだけでもおひねり量が既に半端ないのは解るかと思う。動画のっけから、若手楽師の一人がガサーっとかき集めて、すごい量の束を楽団後列に持っていく、を何度か繰り返す。

で、しばらくすると紙幣を束ねはじめる。恐らくは、小額紙幣の束を作ってる。換金用に。曲が進行しても、カメラの端で紙幣を束ね続けている手がちょいちょい見えてくる。この子も、来日はしてないけど、しっかり歌える、声の綺麗な若手楽師なんだけど。

5分手前くらいからおひねりばら撒き風景は始まる。

見るからに他の聴衆と違う出で立ちの三人衆。どう違うのか、どう偉いのか、はさっぱり解らないのだけど、胡座のままポーンポーンと高々とおひねりを撒きはじめる。

撒いてる側から、側近らしき人が、三人衆の元に換金した札束を渡しに来る。そう、三人衆は自らの足で換金にすら行かない。あくまで胡座だけで全てが完結してる。それくらい偉いらしい。

6分過ぎには楽団後列の、今回繰り上げ来日を果たした若手楽師くんも、手拍子・コーラスの手を止めて、札束勘定に加わってる。

12分前後には三人衆以外からのおひねりも来るが、この人は楽師の前まで歩いて行って撒いている。楽師の前で撒いた後は、その足で三人衆の方に向かって三人衆の面前にも撒く。

12分半あたりでは後列楽師の元に来た換金の様子もしっかり見える。まとめたおひねり、まとめたと思ったら換金で渡してあっという間に再び撒かれる。換金ありき=高額紙幣が手元に増えてはいるものの、賽の河原か、みたいな気分にもなる。

その後はまた、三人衆の元に札束を持って渡しに向かう人がいるんだけど、単に換金代行にしては、その後、手にキスまでして尊敬の念を示してる様子なので代行じゃなくて手渡しおひねりだったのか。よくわからない。


ああ、やっぱり2本目についてもそこそこ長く書いてしまった。

おひねり周りに関してはそんな感じで、これらの動画を見て以来、書き留めたい!と思ってたコトは書き尽くせた気がする(スッキリ)。

ちなみに、超有名どころ…とまでは言えない中堅どころのはずなのに、この2本目の動画に限って現時点で427K Viewで1.6K Likeも行っててすごい。すごいんだけど、理由がはっきりわからない。この曲のフルライブパフォーマンス動画自体が微妙にレアなのかもしれない。


インターネットのお陰で、NusratやSabri Brothersのような過去の最高峰のアーカイブが見られるのも素晴らしいことだ。特にSabri Brothersはホントに大好きなので今後も更に見続けていくとは思う。沢山の貴重な動画が残されているのは本当にありがたい。しかし、残念ながら、彼らが新たなパフォーマンスをすることはない。

なので、Badarたちのように、現役でそれなりに実力もある中堅どころに実際に触れられた事によって、整えられた舞台上のパフォーマンス以外の、カゥワーリ文化を取り巻く背景や環境にも、彼らを通して更に目が届くようになったコトや、これから息長く成長を現在進行系で見守れる対象が出来たのは、この夏の大きな収穫、かな。

彼ら以外でも、現役で優れたカゥワールは自分なりに色々掘っていきたい所存だけど、色々な形で実際に触れられる、という貴重な機会を得られたBadarたちや、現在はBadarの楽団にいるけど、いずれは巣立つであろう若手楽師たちには今後も多少の判官贔屓はつきまとう、かなw

そして、そんな貴重な機会を(今回に限らず)設けてくださるみなさんに感謝の念が絶えないのであった。

2019/09/05

Tuje Yaad Kia Nahin Hay by Masooma Anwar

歌い手さんがすごいのもあるのかもだけど、以前からすごく好きなこの、なんとも哀しげな曲、歌詞ちゃんと知りたいなぁ、と思ってたらまんまと英語対訳付きのが。

Masooma Anwar sings Allama Iqbal - Tujhe yaad kya nahi hai - YouTube

Tuje Yaad Kia Nahi Hay - تجھے یاد کیا نہیں ہے - YouTube

ウルドゥー語歌詞はこちら👆の動画に全部出てるんだけど、タイトルのウルドゥー語部分コピペしてググったら出てきた。やった。

元はイクバールの詩、歌では詩の全文ではなく、飛び飛び抜粋のよう。

ウルドゥー語とローマナイズドはそれぞれ別の以下のサイトからひっぱってきて各行合わせてみた。

اقبال - تجھے یاد کیا نہیں ہے میرے دل کا وہ زمانہ (علامہ محمد اقبال) | اردو محفل فورم
tujhe yaad kya nahin hai mere dil ka wo zamana - Ghazal

って言っても、ようやく文字、バラではちょっぴり解読できるようになった程度なので怪しいモンだけど、各行冒頭は合ってそうなので、多分合ってるw

あと、ローマナイズドの方は表記揺れもあるかもだけど精査してません。

غزل
علامہ محمد اقبال

تجھے یاد کیا نہیں ہے میرے دل کا وہ زمانہ
tujhe yaad kyā nahīñ hai mire dil kā vo zamāna
وہ ادب گہِ محبت وہ نِگہ کا تازیانہ
vo adab-gah-e-mohabbat vo nigah kā tāziyāna

یہ بُتانِ عصْرِحاضِر کے بنے ہیں مدرِسے میں
ye butān-e-asr-e-hāzir ki bane haiñ madrase meñ
نہ ادائے کافِرانہ نہ تراشِ آزَرانہ
na adā-e-kāfirāna na tarāsh-e-āzrāna

نہیں اِس کھُلی فضا میں کوئی گوشۂ فراغت
nahīñ is khulī fazā meñ koī gosha-e-farāġhat
یہ جہاں عجب جہاں ہے نہ قفس، نہ آشیانہ
ye jahāñ ajab jahāñ hai na qafas na āshiyāna

رگِ تاک مُنتَظر ہے تِری بارشِ کرَم کی
rag-e-tāk muntazir hai tirī bārish-e-karam kī
کہ عجَم کے میکدوں میں نہ رہی مئے مُغانہ
ki ajam ke mai-kadoñ meñ na rahī mai-e-muġhāna

مِرے ہم صفیراِسے بھی اثرِ بہار سمجھے
mire ham-safīr ise bhī asar-e-bahār samjhe
اِنہیں کیا خبر، کہ کیا ہے یہ نوائے عاشقانہ
unheñ kyā ḳhabar ki kyā hai ye navā-e-āshiqāna

مِرے خاک وخُوں سے تُو نے یہ جہاں کِیا ہے پیدا
mire ḳhaak o ḳhuuñ se tū ne ye jahāñ kiyā hai paidā
صلۂ شہید کیا ہے؟ تب و تاب جاوِدانہ
sila-e-shahid kyā hai tab-o-tāb-e-jāvedāna

تِری بندہ پروَرِی سے مِرے دن گزر رہے ہیں
tirī banda-parvarī se mire din guzar rahe haiñ
نہ گِلہ ہے دوستوں کا، نہ شکایتِ زمانہ
na gila hai dostoñ kā na shikāyat-e-zamāna

علامہ محمد اقبال

動画の英語対訳よりも綺麗な英語対訳と、イクバール氏についてのざっくりとした解説はこっちのサイトがなかなかわかりよかった。

Tujhe Yaad Kiya Nahin Hai | ♥ The Tale Of My Heart ♥

Adieu Yorobo

盛夏のバタバタの間にヨロボことDJ Arafatがバイク事故で急逝してしまった。

知った日のショックは👆から始まって主にこの日のツイートより。

ちゃいろ🙃🇯🇵💛🇨🇩🇵🇰(@qtbrowneyes)/2019年08月13日 - Twilog

以降もちょいちょい言及はしてるけど。

そしてこれも記録は残しとこう。

DJ Arafat: Twelve arrested after fans of Ivorian artist 'open coffin' - BBC News

UKゴシップ紙The Sunにまで取り上げられてて一応リンクは残しとくけどもうおいらは見たくないな。

Bonkers DJ Arafat fans smash open his coffin and undress corpse at funeral amid rumours star is still alive after motorbike crash – The Sun

ブログ記事としてはリアルタイムに書かなかったので、そして、今更新たに言葉を紡ぐ気持ちには微妙になれないのでツイッタはるばかりで済ましてしまうけど、

👆この気持はまだ変わらない状況かな。

もう少し時間経ったら改めて何か書くかも。書かないままかも。

2019/09/04

散漫メモ

夏の間、とんでもなく忙しくて、もう2ヶ月くらい中途半端にクリップだけしてたリンクや散漫なメモがいくつかメモに残ってたので、もう文章も起こさず一旦上げとこう。

そもそもなんでそれらをクリップした?とか、ここに残してたなにかより大事な出来事やリンクはきっと沢山あったと思うんだけど、「ここに残したもの記録」なだけでいいやw

面白いよね。ここに残そうと思うに至ったものと、ここには残すに至らなかったもっと重要なものとの違いって何なんだろう、って時折思う。

コンゴ独自のルンバ誕生史物語:after you:So-netブログ

Cavacha Express! Classic congolese hits | a music blog by a devoted fan & aspiring dj

USヒプホプあたりではちょいちょい見かける元ネタ集みたいな元ネタ対照表、そのうち作れたら楽しいのにな。という当てにならなそうなマニアっぽい夢見つつメモ。

よく聴いてる(た)曲ならこうやってたまたまオリジナルらしきものに行き当たった時気付けることもあるけど、難しいなー。コンゴものだと特にSeben部分、流行るとあっちもこっちも同じフレーズやリフレインを取り入れたり、ってのも多いから。

そういう有名パーツの全ての大元のネタまで漁れたら楽しいけど。

Loba Lingala | Learn and Speak Lingala

リンガラ語の文法調べてたらまた興味深い記事に行き当たった。書いてる人、相当な全方向性言語ヲタっぽい。

A Beginner’s Guide to Studying African Languages, Part 1: Bantu Languages

EDDY MBOYO, DR Congo – African Drum Festival

Eddy Mboyo & La Sanza - Emala - WOMEX