この記事はメールマガジン「日刊デジタルクリエイターズ」に書き下ろしたした記事「デジタルちゃいろ[42]節目いろいろ」の元原稿です。加筆は一切してませんが、掲載時点で古くなってしまったリンクやそれに纏わる文言のみ一部削除している可能性があります。
あけましておめでとうございます。
正月早々、いきなり厨二臭いコトを言い出しちゃいますと、明けたら何が目出度いのか、正直よくわかりません。慣習上、どんな根拠になってるのか、何故目出度いのかを論理的に教わった記憶もありません。
調べたらああなるほど、な根拠はあるのかもしれませんが、もの凄い能動を以て調べないとわからない程度には身近とは言えない根拠を持ち出されても、それはそれで困惑してしまいそう、というのが正直なところ。
ですが、これが面白いもので、毎年毎年毎年毎年同じ時期に同じテンプレに則った「目出度い」とされる行為を繰り返しているからか、新しい年が明けた、というそれだけが、あたかも目出度いコトのように思えてくるのですよね。そんなコトがふと我に返ると不思議だったりします。
誰でもどこの国でも、なにがしかの期間の反復での一巡を終えて、更なる新たな一巡を開始する、開始できるコト自体を喜ぶ、というのは広義では共通してる感じがしますよね。
日本だって、正月に限らず、成人式や七五三あたりは、自分も通ってきた道として身近に根拠を理解出来る節目行事ですし、個々人の誕生日なんて万国共通、最たるもの。実際、正月も同じコトなんでしょうね。祝う対象が人ではない、というだけで。
こと、正月については、東亜細亜だと日本以外は今でも旧正月が重んじられてる感じがします。あっ、Wikipedia先生によると、東南亜細亜方面も結構、旧正月派なのかしら。
というか、旧正月を旧正月と呼んで、新しい正月をグレゴリオ暦の初月に置きかえちゃってるのって日本だけだし、その他の亜細亜地域では「正月」という言葉そのもの自体が旧暦の1月のコトなんじゃないですか!
やだわ、正月ですらガラパゴスに孤立してただなんて、今の今まで知りませんでした。いつから日本だけそんなコトになってたんでしょうか。
なんて、やや大袈裟そうにそうは言ったものの、グレゴリオ暦の1月1日を迎えるに当たっては、全世界なんとな~く、おめでたムードにはなるので、何も日本だけそこが特異なワケではありません。
とはいえ、他の国って意外と、その国特有の新年……というよりは年の節目たる年間最大イベントが、数字上の初月初日以外の根拠で別の時期にしっかりあるコトが多い気がします。
日本てどうなんだろう。祝日マターで見ていっても、社会的に長期休暇を取りづらいかわりに、国民の祝日の年間日数は異国より比較的多いと言われる日本ですが、正月以外にほぼ万人が節目感を高めるその他イベントなんて、ありませんよね?
近代の年中行事だと、バレンタインやハロウィン、クリスマスはあまりにも商業ベースだし、万人向けかというと微妙にそうでもない。夏休みなんて業界によりけりで、お盆に必ず取るとも言えたものではない。成人式やこどもの日や勤労感謝の日や敬老の日は節目モノとはいえ、一応対象者が限定されてる。
ワタシの乏しい南亜細亜界隈の知識からだと、印度の主要地域をはじめとするヒンドゥ圏では主に10月のディワリが新年となるらしい。
印度は9月頃から延々、各種お祭りシーズンに入る。ここで面白いのが、各種お祭りに対しての思い入れは地域性によりけりで、ディワリは一応、基本的にはラクシュミ様が主役。
なのですが、別の神様がその土地で最も人気のある神様だった場合には、そちらの神様が主体のお祭りの時期の方がその土地ではディワリ以上に盛り上がってたりするらしい。
例えばムンバイでは、ディワリも勿論行なうんだけれど、日本でもお馴染みの象頭のガネーシャ信仰が強いので、ディワリより先に行なわれるガネーシャ祭りの方が皆さん力入ってたりするそうです。
なんだろう、本音新年と建前新年、みたいな? そんなお祭りが約ひと月違いくらいで立て続けにやってくるのだから、印度の秋は、所により文字通り「盆と正月が一遍にやってきた」状態になるのだそうな。ちょっと楽しそうでもある。
同じく南亜細亜(に留まらないと思いますが、地域性との融合度合いが不明なので)、パキスタンをはじめとするイスラム圏では犠牲祭の大イード(新年…というより新年を迎えるホリデーシーズン開始、みたいな)とラマダン明けのイードがあったりする。
こちらはそもそもが太陰暦スパンのヒジュラ暦ベースなので、グレゴリオ暦のいつ、という置き換えは効かない。それどころか季節ともズレが生じるので、同じ祭事が夏になったり冬になったりしていく。
ここ最近はラマダン(断食月)が夏場になってるようなので、ムスリムの多い暑い地域は大変だろうなぁ、なんて思う(……のは門外漢が故の大きなお世話かもしれないけど)。
そんな南亜細亜のワカモノたちも、社会的階級や環境によっては、自分たちにとっての年間最大イベントとは捉えていなくても、グレゴリオ暦1月1日の新年明けイベントは行なったりもするようだ。
アルコールを伴ってるかどうかは置いといて、お祭り騒ぎの理由付け的な意味では、まさしく「いちがつーはしょうがつーで酒が飲めるぞ、酒が飲める飲めるぞ、酒が飲めるぞ」である。
欧米の、主にキリスト教が宗教の中心に不文律的に存在してる地域でもニューイヤーイベントはあるだろう。正直そちらはあまりよくわからない。
わからないながらに思いつく推測としては、恐らく、元旦より1週先んじてるクリスマスの方が本気だし本番だし、実質、1月1日なんて、ホリデーシーズン折り返し地点ののろしとしての花火打上げ、くらいの意味合いなんじゃないかしら(偏見)。
本気のクリスマスといえば、十ウン年前にクリスマス前後にスペイン旅行に行ったときは正直閉口した。普段やってるお店やレストランも、自分たちのための非営利の、本気クリスマス準備のために、極端な営業時間短縮や休業に入っており、外食にも難儀したのだ。
実は旅に連れ立ったのが高校時代の同級生で、実はその母校というのがミッション系だったので、実は必修科目としてミサをはじめとする宗教行事に参加させられたり賛美歌歌わされたりとかは在学中の日常行事であった。
そんな経緯もあったので、その土地のクリスマスのミサってどんなかね、みたいな共通の興味があり、クリスマスの夜は軽い気持ちで近くの教会を訪れた。商業施設も閉まりまくってるし、行き場も限られてたしね。
(余談だが、ワタシに限って言えば、その高校に入ったお陰で、入学前までは持ってた筈キリスト教に対してのよいイメージはガラガラと崩れたし、現在のイスラム萌えに至る道程ではこの時期の反発心も大いに一役買ってるのではないかと疑ってる。そんなのも「縁」としか言いようがない。キリストさまとワタシはご縁がなかったんだな、と思ってる。)
単なる好奇心で混じり込んだものの、全員が賛美歌歌う、みたいな場面に至り、どうやら手に手を取って賛美歌を歌う、という運びらしい。そこではじめて横に立ってたおばちゃんがこちらに一瞥をくれた。
どう見ても土地の人間ではない東洋人の小娘たちを二度見するも、「同じ信仰があるなら言葉なんて!」とばかりに、言葉は一切無しで、奪うように手を繋がれ、共に賛美歌歌いながら、内心では、いやごめん、クリスチャンなワケではないのよ、ホントごめん……と申し訳なく思う。
本気クリスチャンがデフォルトの国はやっぱりクリスマスは本気だし大まじめですよね。米国はよくわからないけど、欧州は結構ストリクトで保守的で大まじめな所多い気がするな。
そうやって考えるとムスリム国と本質的には同じなんだな、という気もします。単に、宗教由来の行動規範が、欧米の物差しで、当たり前と受け止められるか、異質と受け止められるか、の違いだけですよね。
さて、この新年話、今回の記事の触りにちょっと書きはじめたつもりが無駄に膨らんでしまったけど、うまい畳みどころがいまひとつない。
1月1日に限らず「新年」の祝いの背景は現代でも意外と宗教に根付いてる所の方が主流なんだろうな、と思います。世界的に見たら。
どちらかというと「重要なまつりごと」が「明けた|明ける」から目出度い、みたいに、「明ける」こと自体が主役ではないのかもしれない。
大戦後に残念な形で宗教と決別せざるを得ず、宗教全般を頭ごなしに、弱みに付け込む胡散臭いもの扱いするしかなくなってしまった日本は、明けたコトそのものに縋るしかないから心許なく感じるのかもしれない。
ワタシ自身のこの新年は、例年以上に正月らしいコトはしませんでした。最近、和出汁にちょっと凝ってる配偶者が、暮れに先行して雑煮を作ったりしてましたが、以降、年越しそばも食してないし、年明けてから餅すら食べてないわ……。
正月についてはそんな扱いになってしまいましたが、個人的な年中行事は世間とは切り離してしっかり楽しまなくちゃいけませんね。
取り敢えずは自分と配偶者の誕生日とか、結婚記念日とか、その辺でしょうかね。大抵、配偶者の食べたいものを食べに行く贅沢グルメの日にされてしまいますが。
あっ、それこそまさしく「酒が飲める飲めるぞ、酒が飲めるぞ」なのだな……。
どこかの国の音楽
"Alingo" by P Square
個人的には引き続きアフリカはフランス語圏に萌えっぱなしですが、今回はアフリカ英語圏、ナイジェリアのP-Squareのお二人を中心とする群舞をどうぞ。
もうこの、衣装にしろ無駄CGにしろダンスにしろ、清々しいまでに突き抜けたダサさがすごい。しかも、そんなダサさも我が道を半周しちゃえばかっこよく見えてしまう、みたいなダサかっこよさがなんともクセになるのですよねw
この人達、過去にはそれなりに洒落乙風アフリカンポップスもやってないワケじゃないのですが、年々、鋲付きのハードレザー肩パッドバーン、みたいなスタイルへの執着が隠しきれなくなってる感じです。
結構最近の動画だと、直球でマイケルジャクソントリビュートな動画とかも出してるので、ああいうやり過ぎ感のあるエンタメ、真骨頂なんでしょうね。
……と、P-Squareをダサいダサいと半笑いで紹介しといてナンですが、英語圏は全体的に垢抜けた感じがします。やはりガーナ・ナイジェリアあたりは大都会感強いですね。
YouTube眺めてても、うまく表現できないけど、動画の各種クオリティが都会のキー局(英語圏)見てたら地方CM(仏語圏)流れてきた、みたいな落差かも。それでもやっぱり仏語圏ラブなんですけどねっ!
後記
正月は北海道、道東のとある漁師町で、二歳男児のいる暮らしを垣間見てきました。考えてみたら男の子ってこれまであまり縁がなく、しかも1週間近くというそれなりにまとまった時間、近くで眺めていましたが、女の子とは別のイキモノですね、あれは。
言語コミュニケーションの初段階に入ったばかりという時期だったこともあって、今は時折人間語の混じるインコのさえずり、はたまた宇宙との交信、みたいな感じで、色々と面白かったです。