当時の横浜にあった真金町遊郭地域に普段着で出かけて、そこで米兵相手の女たちの姿を風呂敷に隠したカメラでこっそり隠し撮りを始めるが、だんだん大胆にカメラを向けるようになり、何度も危険な思いをしながら撮影を続けていき、「写真を撮ってくれるお姉ちゃん」として受け入れられたりもするようになる。 女たちが検診を受けにくる病院の医師らの協力で病院や遊郭の室内での撮影も可能になっていく。常盤は「同性の側から見る彼女たち」の「ひと皮はいだ」「生地や裏側の生態」をとらえようとしていた。本牧にある老舗のチャブ屋を訪れたのも、医師の案内であった。エッセイ集『危険な毒花』が読みたいけど図書館にはなさげ。
同じく写真家の旦那さんとの写真集『戦後50年 横浜再現―二人で写した敗戦ストーリー』が地元図書館にあったので早速予約。
【追記】
上のググる画像検索にも出てきてるけど、山口県立美術館は収蔵作品、Webで見れる。
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検索結果にリンクしたつもりだったけど、どうもキーワードまで保持されたURLではないらしいのでここから名前入れる。