あたまが冴える
日中忘れていたどうでもよいはずのネガティブなものにのまれる
もっと愛してるはずの事に集中しよう。
12月入ってからなんとなくキヨシローとか多摩蘭坂が時折話題に出てきてて、三歳…になる前くらいまで暮らしていた多摩蘭坂付近の事を確固たる記憶がないままに「思い出して」る。 断片的、とても。
銭湯の男湯で沈んだ。
銭湯帰りの影踏み。
幼稚園でタカちゃんのお嫁さんになる宣言。
立川で一軒家を探している時に見に行った二階家の二階から見た畑ばかりの風景。
実際に引っ越したのは当時は一階建ての平屋なので、今思うとあれはどこの家だったんだろう。
それくらいかな。
あとは引越してすぐ近所の同い年の子供が自分の家の門からこちらを伺ってる光景。母と同じ名前、キョウコちゃん。
小学校に上がる前には中野に引越しちゃった。女子美出てドイツに行ってドイツ人と結婚したらしい。
そんなトコ。
鈴木 清¥ 5,040
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鈴木清(1943-2000)の作品を顧みるうえで、「書物」は重要なキーワードです。読書家であり、愛読書から得たインスピレーションをしばしば自らの写真の指針としたことだけでなく、編集やデザインの多くの部分も手がけた彼自身の8冊の写真集が、いずれも「書物」と呼ぶにふさわしいものだったからです。もいっこ、ご本人没後の写真展に際して奥様が書いた文章でこれまたほろりと…。
そこで、「鈴木清写真展 百の階梯、千の来歴」では、開催に際し4人の作家の方々に小さなエッセイを寄せてもらいました。それぞれのエッセイがもつキーワードは、鈴木の作品のモティーフにもなった、同時代の社会や旅の時間、文学作品などです。テーマもタイプも異なるこれらのテキストは、いくつもの要素が交錯する鈴木の作品世界を読みとくヒントになることでしょう。
「オレ、オレでいつも自分のことばっかり……」ある時、私は彼に言い放ったことがあります。彼は私の勢いにも負けず真顔でこう言いました。この台詞、まるで我が家の旦那タソではないですかね。モノ作る人はこれくらいじゃないとダメなんかなぁ。おいらにはこの善き意味での俺様思考が足りなすぎるんだなぁ。
「自分が幸せでなくて、どうして人を幸せにできるんだ。みてみろよ、オレの写真展の会場を。みんなあんなに楽しんでいるんだよ…」
昨年 9 月、写真展の会場にいる私の胸の中に、彼のことばが何度もよみがえってきました。
鈴木 洋子